残された時間と、死生観と。
なんだかこんなタイトルだと、俺が何か重い病気を患っていて、寿命がもう幾ばくもないと感じている…という風になってしまいそうだ。が、安心して欲しい。そんなこと全くなく、ただ100日noteが残り20日になったよってだけの話である。
思えばこの80日間は、自分の中だけではなく、社会全体にも大きな変化がたくさん起こったように思える。リモートワークやテイクアウトサービスなどが一層普及し、東京への一極集中も改善されるかもしれないと希望を感じる部分もあれば、感染が収まっても、秋や冬には再発する可能性だってある。
コロナが収まってすぐには、完全に新しい社会になるわけでもないだろう。ただ、コロナ以前の社会の寿命が明らかに縮んだということは間違いない。昨日のnoteでも書いたが、この変化の途中の期間で何ができるのか、それとも前時代の社会の「悪い部分」を次の若い世代にも引き継いでしまうのか…それを考えて生きる必要があると思う。
俺の死生観は宗教には則っていない。死後の世界など信じてはいないし、だからこそ死が怖い。それは肉体的なものもそうだが、この世から忘れ去られるという「2度目の死」もそうだ。
次の時代を生きながら、その次の時代の人たちに何かを残し、少しでも長い時間「生きていたい」。これまでお世話になった旧社会の余命の間、果たして俺には何ができるだろうか。