「野暮」という概念
野暮。粋の反対の意味で、人情の機敏に通じないこと、分からず屋で融通のきかないこと、言語や趣味などが洗練されていないこと。
この野暮という概念は常に俺を悩ませる。知るべきことと深入りしてはいけないこと、通した方が良い意地と捨てた方がいいプライド、勢いで発した言葉と考え過ぎて訳の分からなくなった理論、それらの区別や線引きというのがどうにも俺は下手らしい。
こうした方が粋かもしれない、いやそんなにやったら野暮ったくないか…?そうやって考える時間が、何かを行動に移すタイミングそれ自体を野暮にしてしまうこともある。粋な生き方や考え方というのは人情、つまり他人に影響を受けるのでときに破滅的ではあるが、人は一人で生きていけないのもまた事実なのである。
野暮と粋のバランスを取るためには、どうすればいいだろうか。職場での人間関係や歌詞を書くときもそれがずっと俺に付き纏う。誰とでも仲良くなりたい、思いを100%ぶつけたい。でもそんなこと両立するのは無理だとよくわかっているのだ。
だからこそ、俺に必要なのは「演技力」である。演技力というのは嘘をついたり言い訳が上手くなることではない。与えられた環境でどういった自分でいたいのか、その妄想を100%に近い状態で再現することだ。
休みの日くらい100%の自分でいい。だからこそ、仕事ではなるべく人情に寄っていきたい。
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