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クラフトとは何か(メモやパーツ)

第3話 「ものづくり」としてのクラフト

《キーワード》
・ライフスタイル・アズ・クラフト
・ライフサイエンス・アズ・クラフト
・ライフサイクル・アズ・クラフト

3つの視点から、ものづくりにおけるクラフトを考えたい。途中、ECALのラグジュアリークラフトなどに触れながら、ニュークラフティやモダンクラフトなどの言葉で説明しようとしていた何かを紐解きたい。

「デザイン」がつまるところ、経済合理性と生産効率性を踏まえながら、物事を"コントロールする術"(ARTS)に対して、「クラフト」は木の歪みや菌の動き、要は「材」に含まれる多様な変数を"受け入れる術(ARTS)"のように考える。これは生物の進化や深化とも重なる話し。作り手が受け入れるARTSを身につけながら、材のもつ特性に共振しながら、生活を醸成していこうという側面を掘り下げたい。

また発酵という可変性、AIをふくめて生命を巻き込むクラフトのこれからなんかも触れれたらいいなぁ。

日本では地域性をもって語られることの多いクラフトだが、海外ではもっと個人に帰属するものである。とはいえ、個人のルーツはどこにあるのかという視点から「過去がつくる未来、地域が培うクラフト」について考えたい。テノワールというのがワインだけでなく、これからものづくりに置いてもとても重要なキーワードになる気がしている。

第4話 鼎談集:LIFE IS CRAFTING


クラフトはどこへ向かうのか?:クラフトする・されるということ

いろんな人にクラフトについて聞きたい
・大治さん デザインとクラフトの違いは?
・白水くん、田村さん 地域とクラフトの関係は?
・竹内くん、ドミニクさん AIはクラフトを夢みるか?
・リチャードセネット クラフトマンシップとクラフトの関係
・中川淳さん、工藝とクラフトの違いは?
・岡住さん、地域を興す=クラフトと言える余地があるのか?
・原川さん、食と地域とものを繋ぐ「テノワール」というキーワード
・塩瀬さん、人間の生き様をクラフトと言えるのか?
・新工芸舎の方

以下、メモ・素材かつ未編集


クラフトのもう一つの重要な変容は、「人間らしさ」や「思い」を象徴する言葉として広がっていることです。現代社会において、デジタル技術やAIの進化により、効率化と自動化が進む中で、クラフトはそれに対するカウンターバランスとしての役割を果たしています。自動化が進んだ社会では、物を作る際に人間が果たす役割がどんどん小さくなっていきますが、クラフトはその逆を行くものです。クラフトは、人間が持つ感性や直感、個々の創造力を最大限に活かし、独自の価値を持つものを作り出す行為として、ますます重要視されています。この意味で、クラフトは「人間らしさ」を取り戻すための手段としても捉えられるようになっています。

つまり、クラフトは単なるものづくりの言葉ではなく、私たちがどのように物を作り、どのように生きるのか、そしてどのように自分自身を再発見するのかという、一連のプロセスを象徴する言葉へと変容を遂げているのです。それは、物理的な製品の作成にとどまらず、自己の内面的な成長や人間関係、さらには社会全体との調和を探求するための新しい手法とも言えるでしょう。このようにして、クラフトという言葉は、その背景にある価値観や哲学が変わり続ける中で、今後もさらに拡大し、私たちの生活や社会においてますます重要な役割を果たしていくことでしょう。

そもそもは生活のための手工芸品をつくるものづくりの領域を指す言葉だったクラフトが、近年、大量生産へのアンチテーゼとしての少量で手仕事としての生活用品をつくる行為を指す言葉として使い始められ、さらには人間がどのように生きるのかという問いであり、どのように個々人という素質に再着目するのかという「人間らしさ」や「おもい」を象徴する言葉へと変移してきた流れがあります。



その上で、今クラフトとは、単なる技術や手仕事を超え、素材や人、自然、そして社会が本来持っている素の部分を最大限に引き出し、それを魅力として新たな価値を創造しようとする姿勢を指すのだと思います。これは、単に何かを作るということだけに留まらず、素材の特性や人々の思い、自然の持つ力、さらには社会が抱える背景や課題といったものがすべて響き合い、それらが共鳴し合うことで生まれる「共創」のプロセスを表しているのです。クラフトの本質は、ただ一方的に何かを作り出すのではなく、周囲との関わり合いを大切にし、その相互作用の中から新たな価値を見つけ出すところにあるのです。

言い換えれば、クラフトとは「共鳴しあうことで生み出される共創」であり、これは一方通行の創造ではなく、互いに影響を与え合いながら、双方がともに成長し、進化していくプロセスを示しています。これまでは、創造の過程において、シンフォニーのように一つの調和した音を奏でるためには強いコントロールが必要とされてきました。すべてが統制され、完璧に調和することで、美しい結果が生まれるとされていたのです。しかし、現代のクラフトの姿勢はそれとは異なります。今のクラフトは、むしろポリフォニー的なアプローチを採用しており、それぞれが独自の音を出し合い、その中で新たな調和を見つけていくプロセスに価値を見出しています。

ポリフォニーとは、異なる音が同時に存在し、それらが個々に独自のメロディーを奏でる中で、全体として調和を生み出す手法です。これは、クラフトの現代的な意味をよく表しており、個々の素材や技術がそれぞれの個性を持ちつつも、共に存在し、共鳴し合うことで全体として新しい価値が生まれるという考え方です。そして、その共鳴の発端に人が介在していることが特徴とも言えます。

素材や人、自然、そして社会が本来持っている素の部分、つまりその本質的な側面を引き出し、それを魅力として際立たせ、新たな価値を生み出そうとする姿勢。それが「クラフト」の核心であり、単なるものづくりの技術や手仕事にとどまらない深い意味を持つものだと私は考えています。このクラフトに込められた思想や哲学は、表面的な美しさや完成度だけではなく、その背後にある過程や思い、そして共鳴し合う要素同士が新たな価値を生み出す「共創」の力に焦点を当てたものです。私はこの「共鳴しあうことで生まれる共創」としてのクラフトとは何か、さらに深く掘り下げて考えてみたいと思います。

クラフトとは人はこれから誰とどう生きていくか?とほとんど同義になってくるのです。与えられた環境を蝕む存在として生きていくのか、それとも小さな可能性を押し広げていく存在となれるのか。特に後者になるための、姿勢は私の考えるクラフトが内包すべきものに非常に重なり合ってくるのです。クラフトを小さなものづくりから解きほぐし、大きな生態系を紡ぎ出すための一糸と捉えることが可能ではないかと思うのです。私達は拡張しつづけるクラフトを捉えることと同時に、その核が何かという事を見極めなければなりませんし、そのクラフトの核を理解することと、これから人間が抱くべき姿勢を知解する事には密接な関係があるように思えて仕方が無いのです。



クラフトを小さなものづくりではなく、次に人間が実現すべき中庸たる世界を実現する視点のひとつと捉えることは、今日まで一般の人のみならず専門家ですら明確に捉えられず過ぎてきたかも知れません。特にデザイナーなど産業的なものづくりに関わる専門家においては尚更だと思います。

産業デザインはこれまで経済合理性と生産効率性に基づく均質性と再現性に過重な注意を払うことによって、その専門性を高め、同時に不均質で唯一性あるものをアートや(狭義での)クラフトと呼ぶことで、一線を引いていたように思います。長い間、彼らにとってクラフトとは経済活動や生産活動において未熟なものづくりであったのです。

時には産業では許されない非効率さや純粋性が価値として認められることへの憧れをもとにした賞賛を与えることがあったでしょうが、やはりどこかにクラフトの不足を補い、時にはクラフトのアンチテーゼであることが産業デザインの責務と心に抱きながら、生産効率性と経済合理性への挑戦を続けていきました。そのため、生活を豊かにすることを目標としながらも、気づけば生活の根底にある環境を破壊し、永続的な価値提供では無く一時的な機能解決の繰り返しを行うことになってしまったのです。

現在の身の回りのモノの多くを生み出していて、規模が大きく営利の追求が義務とされる組織の中でのものづくりはこのような矛盾を延々と抱えており、営利を最優先としないで済む個人や小さな組織からの視点でこそクラフトが捉えやすい状況だったとも言えるのです。


現在、産業の下にクラフトが小さくひもづいているように見えますし、産業デザインと一線を画するものとしてクラフトが語られているように見えますが、実は産業の未来はクラフトの未来の元に紐付いているのです。近い将来産業デザインはクラフトの元に役割を再確認することになるでしょう。デザインの歴史が、そもそも有史以来の生活や産業の発展をさすのであれば、デザインもクラフトの歴史に回帰結合していくことになるのです。


さらに、クラフトは単なる物づくり以上のものを象徴するようになり、人間の生き方やライフスタイルそのものに関わる問いを投げかける言葉へと変移していきました。クラフトは、どのように物を作るのかという技術的な側面だけでなく、「どのように生きるのか」という深い問いを内包しています。それは、効率や利便性が優先される現代社会において、あえて手間暇をかけ、丁寧に物を作り、長く使い続けるという生き方への再評価でもあります。この視点から見れば、クラフトは単なる生産手段ではなく、人間がどう生きるべきかを考えるための哲学的なツールとなっているのです。

クラフトのもう一つの重要な変容は、「人間らしさ」や「思い」を象徴する言葉として広がっていることです。現代社会において、デジタル技術やAIの進化により、効率化と自動化が進む中で、クラフトはそれに対するカウンターバランスとしての役割を果たしています。自動化が進んだ社会では、物を作る際に人間が果たす役割がどんどん小さくなっていきますが、クラフトはその逆を行くものです。クラフトは、人間が持つ感性や直感、個々の創造力を最大限に活かし、独自の価値を持つものを作り出す行為として、ますます重要視されています。この意味で、クラフトは「人間らしさ」を取り戻すための手段としても捉えられるようになっています。

つまり、クラフトは単なるものづくりの言葉ではなく、私たちがどのように物を作り、どのように生きるのか、そしてどのように自分自身を再発見するのかという、一連のプロセスを象徴する言葉へと変容を遂げているのです。それは、物理的な製品の作成にとどまらず、自己の内面的な成長や人間関係、さらには社会全体との調和を探求するための新しい手法とも言えるでしょう。このようにして、クラフトという言葉は、その背景にある価値観や哲学が変わり続ける中で、今後もさらに拡大し、私たちの生活や社会においてますます重要な役割を果たしていくことでしょう。

そもそもは生活のための手工芸品をつくるものづくりの領域を指す言葉だったクラフトが、近年、大量生産へのアンチテーゼとしての少量で手仕事としての生活用品をつくる行為を指す言葉として使い始められ、さらには人間がどのように生きるのかという問いであり、どのように個々人という素質に再着目するのかという「人間らしさ」や「おもい」を象徴する言葉へと変移してっきた流れがあります。

その上で、今クラフトとは、単なる技術や手仕事を超え、素材や人、自然、そして社会が本来持っている素の部分を最大限に引き出し、それを魅力として新たな価値を創造しようとする姿勢を指すのだと思います。これは、単に何かを作るということだけに留まらず、素材の特性や人々の思い、自然の持つ力、さらには社会が抱える背景や課題といったものがすべて響き合い、それらが共鳴し合うことで生まれる「共創」のプロセスを表しているのです。クラフトの本質は、ただ一方的に何かを作り出すのではなく、周囲との関わり合いを大切にし、その相互作用の中から新たな価値を見つけ出すところにあるのです。

言い換えれば、クラフトとは「共鳴しあうことで生み出される共創」であり、これは一方通行の創造ではなく、互いに影響を与え合いながら、双方がともに成長し、進化していくプロセスを示しています。これまでは、創造の過程において、シンフォニーのように一つの調和した音を奏でるためには強いコントロールが必要とされてきました。すべてが統制され、完璧に調和することで、美しい結果が生まれるとされていたのです。しかし、現代のクラフトの姿勢はそれとは異なります。今のクラフトは、むしろポリフォニー的なアプローチを採用しており、それぞれが独自の音を出し合い、その中で新たな調和を見つけていくプロセスに価値を見出しています。

ポリフォニーとは、異なる音が同時に存在し、それらが個々に独自のメロディーを奏でる中で、全体として調和を生み出す手法です。これは、クラフトの現代的な意味をよく表しており、個々の素材や技術がそれぞれの個性を持ちつつも、共に存在し、共鳴し合うことで全体として新しい価値が生まれるという考え方です。そして、その共鳴の発端に人が介在していることが特徴とも言えます。

素材や人、自然、そして社会が本来持っている素の部分、つまりその本質的な側面を引き出し、それを魅力として際立たせ、新たな価値を生み出そうとする姿勢。それが「クラフト」の核心であり、単なるものづくりの技術や手仕事にとどまらない深い意味を持つものだと私は考えています。このクラフトに込められた思想や哲学は、表面的な美しさや完成度だけではなく、その背後にある過程や思い、そして共鳴し合う要素同士が新たな価値を生み出す「共創」の力に焦点を当てたものです。私はこの「共鳴しあうことで生まれる共創」としてのクラフトとは何か、さらに深く掘り下げて考えてみたいと思います。

もともと「クラフト」という言葉は、生活のために手工芸品を作る職人技や、個人が手作業で作る小さなものづくりの領域を指していました。昔ながらの伝統的な技法で、日用品や工芸品が手仕事によって生み出されてきた歴史の中で、クラフトは技術の結晶であり、個人や地域に根ざした生活の一部として存在していました。しかし、近年になって、クラフトは単に手工芸の範囲に留まらず、より広範な社会的・文化的な文脈の中で再定義されつつあります。

特に、20世紀後半以降、大量生産による画一的な製品が市場を席巻する中で、クラフトはそのアンチテーゼとしての役割を強めていきました。工業化とグローバル化が進む一方で、個人の手仕事にこだわる少量生産の製品が見直され、クラフトという言葉が再び注目されるようになったのです。
この背景には、ただの物づくりを超えたクラフトの新たな意味が浮上してきます。クラフトは、大量生産に対する反発として、個々の職人や小さな工房が手間暇をかけて作り上げる生活用品を指す言葉として広がりました。その作業は効率性よりも品質やこだわりを重視し、作り手の「思い」が込められた商品として人々に受け入れられています。このように、クラフトは単に物を作る行為ではなく、そこに込められた作り手の価値観や哲学を反映するものであり、それを消費する側もまた、その背景にあるストーリーや意図に共感することで、クラフト製品が持つ独自の魅力が一層強調されています。

さらに、クラフトは単なる物づくり以上のものを象徴するようになり、人間の生き方やライフスタイルそのものに関わる問いを投げかける言葉へと変移していきました。クラフトは、どのように物を作るのかという技術的な側面だけでなく、「どのように生きるのか」という深い問いを内包しています。それは、効率や利便性が優先される現代社会において、あえて手間暇をかけ、丁寧に物を作り、長く使い続けるという生き方への再評価でもあります。この視点から見れば、クラフトは単なる生産手段ではなく、人間がどう生きるべきかを考えるための哲学的なツールとなっているのです。