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真の正しさって…何だろう?
ブログ記事がとても多くなってしまって分かりにくいので、noteに概略と目次をつけて読みやすいようにしていきたいと思っています。
ずいぶん昔に書いた文章は、かなり未熟で恥ずかしいのですけど。。。読み返してみると、今現在に至るまで様々なことがあり、考えてきたなぁと思います。過去は未熟ですが、今から思えば、そんな過去も現在につながっているのだと思います。
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最近は「正しさ」を盾に指導はしなくなりました。
この記事を読み返してみると、当時はずいぶんと悩んでいたなーと思いますし、自分自身も「正しさ」について理解が浅かったように思います。
最近考えていることは、人はその人の正しさで生きているということです。その正しさの基準は、それぞれの人で違う。というか、全く同じ人というのはこの世に存在しないのでしょう。
問題は、自分のもっている正しさが、他者にも社会にも通用すると思い込んでいることなのだと思います。
子ども達の喧嘩は、自分の正しさを主張しているだけですが、自分の正しさは相手も当然正しいと思っていると勘違いしているので、自分の正しさを主張したら通ると考えているんですね。
私が自分の正しさで指導したら、子どもは受け入れてくれません。子どもは自分の正しさを主張することでしょう。
じゃぁ、何をもって指導するか?といえば、それは真の正しさしかありません。でも、今、自分の思う正しさっていうのは真の正しさではない可能性がある、ということがかなりの問題。だから教師自身が、真の正しさについて学んでいくしかない。それが哲学というものなんだと思います。
子どもに対する指導は「正しさ」が要求される
先週までブログにアップしていた記事は冬休みの間に書き溜めたもので、現在は、約一ヶ月経っています。
この一ヶ月の間、「正しさ」について、考えてきました。学校では、日々、いろいろな事が起っていて、それに対して、教員は判断し解決していきます。特に、子どもに対する指導は、「正しさ」が要求されます。
この「正しさ」について、実は全く自信がなくて、いつも、
・コレで良かったのだろうか?
・もっと他の指導があったのではないか?
・子どもの気持ちは汲めただろうか?
と自問自答してきました。
でも『真の正しさ』は、武田邦彦さんによると・・・
1.神〈宗教〉
2.偉人〈道徳〉
3.倫理〈倫理・相手の希望〉
4.法律〈お互いの約束〉
これらに準拠して指導していったらどうだろう? と考えるようになりました。
しばらく、このことについて実践と通して書いていこうと思います。
・道徳の授業での実践
・社会のルールは受け入れられる
・先人(アドラー)の教え
・マイルールはダメだと本能で知っている
・本能として身に付けるようになったモノ
という事で、この続きは また明日。
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よろしくお願いします。
お気楽