首里城にはトイレが無かった!
琉球国、500年の王都首里城、
幾多の栄光と挫折を見下ろしてきた首里城には、
実は、あって当然のあれが無かったのです。
首里城にはトイレが無かった!
首里城に存在しないもの、それはトイレでした。
数百人が仕事をしている首里城にトイレがないとは意外です。
一体、催してきた時にはどうしていたのでしょうか?
実は、琉球には仕事中に大小便をするのは宜しくないという
今では考えられない倫理観が存在していたそうで
その為にトイレという空間はどこにも存在していないのです。
いざという時には、小便筒、糞箱
そうは言っても、王府の役人だって人間です。
お腹を壊す事もあれば、おしっこをしたい時もあります。
そんな緊急時にはどうしていたのかというと、
ちょっと、仕事場から姿を隠して、小便筒や糞箱で用を足し
また、何食わぬ顔をして持ち場に戻ってきていました。
大内原の敷地に排せつ物を捨てる穴が掘られた
首里城は、夜になると見張り番以外の役人は帰宅します。
しかし、王様やその家族は、ずっと首里城に居住しているわけです。
その排泄はどうしていたのでしょうか?
実は、王様やその家族も小便筒や糞箱で用を足していました。
そして、その排せつ物は大内原の敷地内に深い穴を掘って捨てていました。
ここは、トイレというより、色々な廃棄物を捨てる穴だったようで、
井戸のように深く掘り、一生分の排せつ物を捨てていました。
たまたま、国王や王妃が長生きすると、一つの穴では足りず、
もう一つ、穴を掘るような事もあったようです。
江戸城にはトイレがあった
同時代の江戸城には、トイレがありました。
これも深く穴を掘り、一生使うという点は首里城と同じですが、
ちゃんときんかくしと座った時につかむ棒がついていました。
つまり、首里城とは違い、江戸城に勤める武士は
ここで直接用を足したのです。
しかし、畳敷きだった将軍や御台所のトイレと違い、一般のトイレは
石敷きですべりやすく、おまけに照明もありませんでした。
九百石取りの旗本、松下伝七郎は、12代将軍徳川家慶から
酒を大量に飲まされベロンベロンの泥酔状態でトイレに行き、
そこで足を滑らせて糞壷に頭から突っ込み、溺死したという話があります。
そう言えば、フランスのベルサイユ宮殿にも、
部屋は700以上あるのにトイレは1個もないそうです。
なので、当時のベルサイユの住人たちは、
尿瓶や糞壷で用を足していました。
なんだ琉球国と同じか、と思ってはいけません。
元々、狩猟民の彼らは、琉球人のように、
その糞便を遠くまで持っていき
処理するなどという悠長なことはしません。
豪華な階段の下や廊下の隅っこに、
人がいない時を見計らいポイと捨てていたのです。
琉球・沖縄の歴史を紹介しています。