ヤマトへの反感

沖縄の人が言う「ないちゃー」とはどういう意味

うちなぁんちゅが、本土の日本人をネガティブに言う時には、
ないちゃーという言葉を使います。
私達は、この言葉をよくないニュアンスで使いますが、
では、そもそもナイチャーとはどういう意味なのでしょう?

大日本帝国には、内地と外地が存在した


大日本帝国の時代、日本は、北海道を皮切りに、琉球、台湾、
満洲、太平洋の島々へと領地を拡大していきました。
この時、日本固有の領地を内地といい、それ以外の領地を
外地と呼んで区別するようになります。

内地と外地ではどう違うのか?


内地と外地の一番の違いは、
大日本帝国憲法が施行されているかどうかです?

1890年に施行された大日本帝国憲法には、
臣民の権利と義務が記載されていますが、
当初は、本州にしか適用されず、それ以外の地域には、
刑法と商法のような一般法と特別法だけが通用しました。

つまり本州に住んでいる日本人以外は、
大日本憲法が適用されなかったのです。

帝国憲法が施行されないメリット


ですので、帝国憲法に定められた、
兵役の義務は本州の外では適用外でした。
これは、個人にではなく領地に適用される(属地主義)で
日本人でも本州を離れて、太平洋の島々に移住して戸籍をうつすと
大日本帝国憲法の適用除外になり徴兵を免れます。

明治31年まで、沖縄県では大日本帝国憲法は適用外の外地でした。
なので徴兵もなく徴兵逃れの為に、わざわざ沖縄県に本籍を移した
鈴木梅太郎や本籍地を北海道に移した夏目漱石がいます。


内地に戸籍を移せば、沖縄人でも朝鮮人でも
選挙権、被選挙権があった


逆に、日本の植民地から本州に戸籍を移すと
彼等は大日本帝国憲法の保護を受けて
選挙権も披選挙権も与えられました。
もちろん、徴兵の義務も発生します。

民族差別ではなく、内地か外地によって、
憲法の適用範囲が違う事に注意が必要です。

20年近く内地ではなかった反感が
ないちゃーという言葉に繋がった。


琉球は1879年に沖縄県になります。
しかし、1890年の段階では、まだ日本人未満として
沖縄県には大日本帝国憲法は適用されませんでした。

沖縄県に適用されたのは、それから8年後の
1898年で、それまで沖縄人は外地の人間扱いでした。

当時の沖縄では日本人志向が高まっていて、
日本人として扱ってもらえない事にコンプレックスを持ち
自分達は外地の人間、ヤマトゥは内地の人間という
不平等感が頭をもたげてきて

そこから、ないちゃー(内地の人)という言葉が生まれたのです。

ないちゃーとは、大日本帝国憲法が施行される内地(本州)と
されない外地(沖縄、朝鮮半島、台湾、満洲)を分ける言葉で、
内地人=日本人扱いされないうちなぁんちゅが、
本土人を批難する気持ちから産まれたわけです。

琉球・沖縄の歴史を紹介しています。
http://blog.livedoor.jp/ryukyuhattuken/


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