一体誰?歓会門の櫓の上で薩摩を挑発した法師武者
1609年、薩摩島津氏の軍門に屈した琉球王国
敗れるには敗れましたが、
誰一人抵抗しなかったわけでもありませんでした。
今回は、現在でも正体不明な首里城歓会門の櫓の上で
薩摩藩兵に気を吐いた 一人の法師武者を紹介します。
喜安日記に登場する法師武者
薩摩による琉球侵略を琉球の目線から書いた史料に
王府の茶道頭だった 喜安蕃元の喜安日記というものがあります。
それによると、首里城が接収されようとするまさにその日に
たった一人で立ち向かった法師武者がいたようなのです。
屈強の兵共、綾門(守礼門)の
左右の柱を手楯として二行に並び、
凡そ下綾門(中山門)までつづいたりき 其時、
歓会門の矢倉の上にて法師武者怒って申しけるは、
薩摩の野郎共よせ来れども何程の事かあらん。
一々に射殺さんと悪口す
薩摩の兵士が二列に整列し、
粛々と守礼門、中山門を抜けて行進し
いよいよ歓会門まで辿り着いた時に、
法師武者が歓会門の矢倉に現われて
薩摩兵何するものぞと
矢をつがえて立ったと書かれています。
はぁ?今さら迷惑なんだけど・・
ところが、もう降伏と決まった最中に
いきなり出現した法師武者に 呼応する琉球人は
一人もいなかったのでした。
喜安日記は以下のように続けています。
誠に詞の洩易きはわざわいを招く媒也
敵も味方も是を聞きてにくまぬ者はなかりけり
上一人より下万民に至るまで無為無事を願ふ処に、
此者天魔の所為とぞ申ける
ようやく戦争が済んだ、
これ以上薩摩に反逆して心証を悪くしたくない
琉球人が上から下までそう思っているところに
場違いに徹底抗戦を叫ぶ法師武者です。
薩摩兵はともかく、降伏した琉球人にさえ
「この悪魔」と罵られた法師武者は
この後牢獄に放り込まれたそうです。
そして、彼が一体、誰だったのか今でも分かりません。
空気を読めという言葉がありますが、
何を為すにも時と場所があります。
例え悪気はなくても、
葬式をしている家の傍でお祝いをすれば
相手の気分を害しますし、その逆もまた然りでしょう。
法師武者にしても、あと一日、決起が早ければ
薩摩相手に抵抗した武者として
ちゃんと名前も伝わったかも知れません。
しかし、もう降伏と決まり、
事を荒立ててくれるなと周囲が思っている時に
薩摩を挑発すれば、こうなってしまうのも仕方ないでしょう。
琉球・沖縄の歴史を紹介しています。
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