肩書を手に入れるべし
元気ですかー!
人間というのは、ほぼ秒単位で価値判断をしていきている生き物だ。
これが猫なら、自分が気に入れば有名タレントでもホームレスでもすり寄っていくものだが、人間だとそうはいかない。
無意識に価値判断をして、近づくべき人とそうでない人を峻別しているからだ。
人間は見た目と肩書が9割である、寂しいけれどそうである。
一人暮らしの四十男でも、一念発起して直木賞でも取ろうものなら、
翌日からは有名人だ。近づいてくる人も増えるだろう。
賞を取る前と取った後で当人は何も変化していない。
変化したのは、直木賞作家という肩書がついた点だけだ。
直木賞受賞作が発表されると、その受賞作が大量に書店に並び
100万部という単位で売れる、そして、来年の直木賞が発表される頃には、
また大量にブックオフに陳列されるのだ。
なんだ、肩書なんか大した事ないじゃないか、どうせ直木賞という肩書だけで本を買って、大して読まずにブックオフに売ったヤツが多いんだろうと
皮肉屋のチミは思うだろうか?
しかし、考えてみなさい、ハードカバーの本なら、2000円から3000円くらいはするだろう、それをろくろく読まない癖に買うのである。
3000円捨てて、直木賞の肩書がついた本を書棚のオブジェにしてしまうのだ、この世にも奇妙なもったいないアクションを幕の内定食に置き換えてみるといい
3000円の幕の内定食を昼飯に注文し、一口も箸をつけずに捨てる事が出来るだろうか?ほとんどの人は出来ないだろう。
ところが、それが直木賞の冠を被せると本に対しては出来てしまうのである。これこそ肩書の魔力というものではないか?
まず、何者かになりたいなら、何らかの金銭的な価値がある肩書を得るべきだ。すると、その肩書に吸い寄せられ、チミから利益を得ようとする有象無象が一ダースに、肩書関係なく、チミの才能に魅せられた人がほんの少しやってくるだろう。
肩書は闇夜の蛍光灯みたいなものだ。
集ってくる蛾や羽アリを放り捨てて、たまに飛んでくるカブトムシとか
鍬形と交流を結ぶ事も、肩書を持つ人の心がけ次第では可能だろう。