琉球と日本では刀の差し方も正反対だった
武器のない国と言われた琉球国ですが、
近年の研究では、鉄砲以外の刀、槍、弓の類は所持が許され
必要な時には、帯びる事も出来たようです。
しかし、刀を差すにしても、琉球と日本では、その差し方が
正反対でした。
刃が上向きの日本、下向きの琉球
江戸時代の記録によると、当時の武士は、刃を上に向けて、
刀を差していた事が分かっています。
ところが、同じ時代の琉球では、刃は下に向いて差しているのです。
同じ刀なのにどうして、差し方が違うのでしょうか?
琉球の方が古い時代の差し方
ウィキペディアによると、古来、太刀と呼ばれた刀は、
馬上での戦い用に造られていて、鞘の端が馬に当たって、
暴走しないように、刃は下向きに造られていたようです。
ウィキペディア:打刀
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%93%E5%88%80
その後、歩兵用の刀として打ち刀が生まれましたが、
こちらも、室町時代の中期頃までは太刀にならい、
刃を下向きにして差していたそうで、これを天神差しと言います。
しかし、室町の晩期になると徒歩でも抜きやすいという点から、
打刀は刃を上にするようになり、以後は、それが
スタンダードになったのです。
つまり、琉球では、室町時代中期の古い
天神差しが、そのまま残っていたようです。
室町後期で戦国時代が終わった琉球では
天神挟みが残った
また、もう一つの理由には、馬社会の琉球では、
馬に乗る事が多かった事情もあるかも知れません。
前述したように、太刀は鞘が馬に当たるのを防ぐために、
刃が下を向いて反っていました。
琉球でも同じ理屈で、馬に乗る時には、刃を下に向けて
刀を差し、それがそのまま残ったのかも知れません。
そして、単純に琉球における内乱の時代は、
室町の後期には終わっていて、
軍事的な技術革新の必要がなくなり
古い形である天神挟みが残り続けたとも言えるでしょう。
刀の差し方の日本と琉球の差について書いてみました。
旧慣を墨守する傾向がある琉球と、どんどん変わっていく日本、
その違いが端的に現れていて面白いです。
琉球・沖縄の歴史を紹介しています
http://blog.livedoor.jp/ryukyuhattuken/
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