董卓万歳塢

【三国志とお金】董卓が洛陽の人々から強奪した金額は何と○○円!


 後漢の末、董卓は洛陽の官府、貴族、富豪に集中した富を略奪しつくし、
長安の西の郿塢(万歳塢)に山のように積み上げて軍資金としました。
この出来事が悪名高い、董卓の長安遷都ですが、後漢書董卓伝には金、二、三万斤、銀八九万斤、それに錦綺 等の布 帛類や奇玩を丘のように積み上げたとあります。

確かに、山のような財宝ですが、董卓が積み上げた金銀とは、
具体的には、いくら位になったのでしょうか?
そして、その財宝を現代価格に換算すると、とんでもない数字が
出てきました。
さすがは董卓、スケールが大きいです、あ!オガッ!

積み上げたそれぞれの財宝の価値を考える


では、実際に董卓が万歳塢に運び込んだ、財宝の価値について、
下記の、後漢・三国時代貨幣史研究古代から中世への展開を参考に
考えてみます。

まず、黄金2~3万斤ですが、資料では、当時の金一斤は16000銭から
32000銭これで、2~3万斤を考えると6億4000万銭から9億6000万銭です。

次に、銀8~9万斤ですが、金:銀=6・25:1で考えると、銀8~9万斤は、
4億960万~4億6080万銭になり、金銀を合計すると万歳塢に積まれた金銀は10億5000万銭から14億2080万銭となります。


これは、後漢後期の外戚、跋扈将軍梁冀の集めた私財、30余億銭が
後漢の国庫の半分を占めたというのに比べると少ないのですが、
董卓の場合には、これに布帛や珍宝が加わりますから、
実質は、梁冀が集めた金銀財宝を上回ると考えられます。

※参考資料:後漢・三国時代貨幣史研究古代から中世への展開 山田 勝芳

董卓が万歳塢に集めたお金 現代に換算すると幾ら?


30億銭以上と梁冀以上の金を略奪によって得た董卓ですが、
この30億銭って、現代の価値に直すと一体いくらになるのでしょう。

実際には当時の物価は、1800年先の現代とは比較し難いのですが
当時にも主食だった米の値段を基準にして換算してみましょう。

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