不倫の罪は建前死刑だが・・・
琉球国の時代、首里には、平等所と呼ばれる検察&裁判所がありました。
創設は17世紀の初頭で人口が増えてきた首里・那覇の事件を裁いたのです。
刑罰には、上は死罪から島流し、寺入り、罰金などがありましたが、
儒教を国教化している琉球においては、姦通、今で言えば不倫は
かなり重い罪で死刑が適応されていました。
今と違い、旦那と死別した未亡人が別の男性と関係を持っても、
再婚するのではない限り、それは不義密通とされました。
しかし、実際には、死刑は建前であって、
当時から姦通は数えきれない程にあり、これらを全て、
死刑にしていたのでは、労働力の減少に繋がります。
そこで、王府は平民の姦通については、最高刑を死罪から
島流しに減刑してしました。
そこでは、”本来は姦通は死罪の大罪だが、平民というのは、
無知蒙昧であるから、それをよく理解できていないので、大目に見る”
というような文言があります。
ですが、これは建前であって、本音は前述のような理由だったのです。
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