第二章 ウエグスクのサメドン②(球妖外伝 キジムナ物語)
暗くて視界がきかない新月の夜でした。でも海につづく道には、白い砂がしかれていたので、夜道はぼんやり光っています。道の脇には、葉が虫に食われ不気味な枝ぶりのユウナの木が、うっそうと生えています。海に近づくにつれ、潮の香りがして波の音が聞こえてきました。
クカキ・サメドンは、道ばたのごつごつした琉球石灰岩に、だれか座っているのに気がつきました。
「こんばんは」
そう話かけられたので、サメドンもあいさつしました。
「こんばんは」
話しかけたものは、答えてもらえたのが、うれしくてたまらないという感じで続けます。
「いい夜ですね。釣りに行くのですか?」
「ええ」
「ぼくもいっしょに行ってもいいですか?」
「別にかまいませんよ」
村のものではないなとサメドンは思いました。それにずいぶん小柄な男だとも思いましたが、あまり深く考えずに返事をしました。
サメドンは身体に異変がおこってから、人目を気にして村人とのつきあいを避けていました。でも夜なら肌を気にする必要もありません。自分の姿を隠してくれる暗闇が、サメドンはいつのまにか好きになっていました。
オオド浜という海岸で、ふたりは少し離れて釣りを始めました。サメドンは釣り糸を投げると、岩場に座ってぼんやり海をながめていました。夏の暑い夜でしたが、陸から海へ向かって吹く風があり、ざーざーという波の音が響いています。
サメドンはときどき、どぷんと海へ飛び込んで、暗くて深い海の底へもぐりたい衝動にかられました。でもそれをしてしまうと、もう陸の上には戻れない気がして、けんめいに気持ちを抑えていました。
ふとサメドンは、近くで釣りをしていた小柄な男が、魚を何匹も釣りあげているのに気がつきました。
「ずいぶん、釣りがお上手ですね」
キジムナ・ムムトゥは笑顔を見せました。
「良かったら、差し上げますよ」
「いいのですか?ありがとうございます」
「明日もまた、いっしょに釣りをしませんか?」
「ええ。そうしましょう」
帰りぎわ、キジムナはサメドンに質問しました。
「ところで、行方がわからなくなったお婆さんについて、聞いたことはありませんか?」
「さあ、聞いたことがありませんね」
家に帰るとサメドンは、キジムナから分けてもらった魚を、奥さんにわたしました。
「こんなに釣れたの?」
奥さんは、うれしそうにほほ笑みました。
その日から毎晩のように、キジムナとサメドンは夜釣りに出かけました。キジムナは正体がばれないように、はじめは人間がつかう丁寧な言葉で話しましたが、慣れてきたらやめてしまいました。サメドンはキジムナに、どこからきたとか何者だとか、無理に聞きだそうとしませんでした。ふたりはともに過ごすうちに、居心地の良さとか、きずなのようなものを感じていました。
上弦の月が西の空に浮かぶ夜、キジムナとサメドンは、サバニという小さな舟にのっていました。エークという木の棒で舟をこぎ、沖で釣りを始めてしばらくすると、
「わあっ!」
という悲鳴があがりました。
サメドンがキジムナを見ると、キジムナは全身ガチガチに固まって倒れていました。
「どうした!大丈夫か?」
サメドンはキジムナの胸に、タコがくっついているのに気がつきました。
キジムナが釣りあげたタコのようです。
サメドンはタコをつかむと、キジムナの胸から引っぺがしてあげました。
とたんに、キジムナは動けるようになりました。
「ああ助かった。ぼくはタコが大の苦手なんだ。ありがとう」
「いいや。このくらい、たいしたことじゃない」
キジムナはサメドンのことを、じっと見つめました。
「ねえ、きみがよかったら、ぼくら友だちにならないかい?」
サメドンは肌のことがあったので少し迷いましたが、サメドンもキジムナのことを気に入っていました。
「ああ、友だちになろう」
「やった!ぼくの名前はキジムナ・ムムトゥだ」
「おれの名はクカキ・サメドンだ」
キジムナとサメドンは互いに握手をかわしました。
「じつは、サメドンに打ち明けたいことがあるんだ……」
「なんだ?」
「また今度、話すね」
焼けつくような暑さのなか、セミがけたたましく鳴いています。めまいがしそうな強い日差しは、濃い影をつくりだし、キジムナ・ムムトゥは涼しげな桑の木陰で寝ていました。オオコオモリのカーブヤーがキジムナの頭をつんつんとつつきました。
「キジムナ……。おい、キジムナってば」
「……なんだよ、カーブヤー。せっかく昼寝していたのに……」
「キジムナ、あの人間とまだ釣りに行っているのか?お婆さんのことは知らないと言っていたのだろう?」
「うん。ぼくは、あいつが気に入った。クカキ・サメドンというらしい。人間だけど友だちになったんだよ」
カーブヤーは、ふうと息を吐きました。
「やれやれ。この村に来た目的を忘れたのかい?おいらは村じゅう飛び回って調べたのにさ。例の婆さんを知るものは、どうやらこの村にはいないらしい」
「そうか。調べてくれてありがとう」
「用もすんだことだし、そろそろ、この村を出ないか?」
「カーブヤー、もう少し待ってくれよ」
「ねえ、キジムナ。あまり人間と仲良くすべきじゃないと思うよ。おいらは昨日の晩、そのサメドンとやらの家に行ってみたんだ。奥さんと暮らしていたよ。人間というのは、いざとなったら同じ人間を大事にするものだよ。おいらたちとは、住む世界が違うのさ」
西の空がオレンジ色に染まり、サメドンが畑から帰ると、奥さんは暗い顔をしていました。
「どうかしたのか?」
「これを見て」
奥さんが持つバーキというカゴには、魚が入っていました。
「昨日の魚じゃないか。たくさん釣れたから、近所に配ると言っていなかったか?」
「それがね。気味悪がって、誰ももらわなかったの。目がない魚は、マジムンの仕業だというのよ」
サメドンは、どの魚にも目玉がないことに気がつきました。じつはこれは、キジムナがこっそり食べてしまったものでした。
「それからね。昨日の晩、うちから火の玉があがるのを見たという人がいたの。昨日は8月8日でしょう」
「8月8日か……」
サメドンはつぶやきました。
旧暦の8月8日から8月11日はヨーカビーと呼ばれ、妖怪が出ると言われています。この時期は夜になると、村の家々から火の玉が出ないか、高台に見張りがたてられました。火の玉があがった家は、近いうちに死者が出ると言われ、不吉とされました。
じつは、サメドンの家で目撃された火の玉の正体は、オオコオモリのカーブヤーでした。マジムンであるカーブヤーは、人間たちの目には火の玉のように見えたのです。
その夜、釣りのあとサメドンは帰るふりをして、こっそりキジムナのあとをつけました。キジムナは当山の桑の大木の前に来ると、こつぜんと姿を消してしまいました。サメドンはおどろきました。
「キジムナは妖魔だったのか……」
サメドンは、このことを奥さんへ話しました。
「お願いだから、もう、その人と釣りへ行くのは、やめてちょうだい」
サメドンは視線を落として言いました。
「わかった。明日、話をしてくるよ」
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