パレットくもじ前広場
しばらくnoteをお休みしていましたが、また少しずつ書いてみようと思います。投稿のペースは落ちるかもしれませんが、またお付き合いいただけると幸いです。
noteをお休みしている間、今後の方向性についてあれこれ考えていました。いったんnoteから離れて頭の中を真っ白にしてみて、これから自分はどうしたいのか考えていました。
色々な本を読んだり、あれこれ挑戦したり、普段行かないような場所へ出かけたりもしました。ちよっと旅に出ていた気分です。またnoteに戻ってきました。勝手ですが「ただいま」と言わせてください。
色々と考えてみた結果、わたしには、まだまだ作品が足りないなと思いました。これからも多くの作品をつくって、どんどん世に出していきたいと考えています。評価されてもされなくても、納得がいくまで作り続けていこうと思います。どうぞよろしくお願いします。
見出しの画像は沖縄の那覇にあるデパートリウボウです。「パレットくもじ」の名前でも親しまれています。道向かいには沖縄県庁があり、観光で名高い国際通りの入り口という立地です。まさに沖縄の一等地にある老舗のデパートです。
県内各地に新しい大型のショッピングモールができていますが、先日パレットくもじを訪れてみて、あらためてその魅力を感じました。
ちょっとした贈り物や手土産を購入したいときは、いつもここへ探しにきます。大型の商業施設だと広すぎて、ちょっとした品物を探すのは却って不便です。
パレットくもじには、ここに来れば間違いないとか、何か素敵な品物(とくに食べ物)があるに違いないという安心感があります。
また施設内には小さなシネマもあるし、市民ギャラリーでは展示会も行われたりします。先日も多くの人で賑わっていました。1991年に開業してから沖縄県民に愛されているデパートです。
最近パレットくもじ前の広場に、三角形の白い屋根が作られました。
公募されて決まった名前がこちらです。
UFURUFU(ウフルーフ)
沖縄の方言で「うふ」とは大きいという意味です。思わず笑みがこぼれそうな、とっても素敵な名前だと思いませんか?
この三角形の屋根、わたしの目には紙ひこうきのように見えました。
青い大空に向かって、今にも飛んでいきそうな白い紙ひこうき。沖縄から世界に向かって飛びたつイメージがわいてきました。
10月31日から11月3日まで沖縄県内で行われた「第7回世界ウチナーンチュ大会」は大成功をおさめたようです。
沖縄には戦前戦後に多くの人が、移民として世界中に渡ったという歴史があります。
新天地で荒れ地を開拓するのは本当に大変で、病気で命を落とす人もいたり、生活に耐えられず沖縄に帰る人もいたそうです。お互いに協力し合うことで苦労を乗りこえました。
自分たちが大変な苦労をしたのにも関わらず移民の方々は、故郷の沖縄にも助けの手を差し伸べました。
戦争で焼け野原になった沖縄に、ハワイから豚を送り届けたという話があります。また世界各地に県人会があり、定期的に交流しながら、お互い留学をしたりビジネスで助け合ったりしているそうです。
沖縄には「結まーる(ゆいまーる)」という互いに助け合うという意味の言葉がありますが、まさにそれを大切にしてきたのだなと思いました。
しかしながら沖縄にルーツがあるというだけで、なぜこのように何世代にわたって繋がり続けられるのだろうか?という疑問も湧きました。
外国で受ける差別もあったでしょうから、お互いに協力する必要があったというのも理由のひとつかもしれません。
それ以外の理由として、わたしは音楽や伝統芸能や文化の力が大きいのではないかと考えました。
沖縄の伝統的な音楽や民謡は、琉球音階と呼ばれてド・ミ・ファ・ソ・シ・ドの5音で構成されています。その独特のメロディに合わせて繰り広げられる踊りや芝居は、移民の方々の世代をこえて伝えられてきたようです。
今でも沖縄では、伝統行事があるたびに踊ったり舞台芸能が披露されます。昔の農村ではそれが唯一の娯楽だったとも言われています。
外国へわたって産まれてきた子や孫たちが、言葉を理解できなくなったとしても、音楽や踊りなら伝えることができたのかもしれません。
また沖縄が発祥の地とされる空手は、今や世界中に広まっています。空手にたずさわる人口は正確には分かりませんが数千万とも。すごい影響力ですね。
沖縄と移民の方々が定期的に連絡をとって助け合ってきたことと、沖縄ルーツの文化芸能に慣れ親しんできたことが、今でも交流が途絶えない理由ではないでしょうか?
相互扶助の精神を伝える「結まーる(ゆいまーる)」は、きれいごとだとか実際は違うとかいう意見もあるかもしれませんが、わたしは好きな言葉の一つです。
べつに沖縄がルーツでなくても、そういうことに関わらず、日本国内でも世界中でもお互いに助け合うということが実現できないのだろうかと、パレットくもじ前のUFURUFU(うふるーふ)を眺めながら、ぼんやり考えさせられました。