今は無き「企業名が付与されたバス停」
沖縄本島のバス停では、2022年7月よりネーミングライツ制度が開始されている。
この制度導入に伴い、今後は企業名であるバス停が増加していくことが想定されるが、1977年当時の路線図$${^1}$$を見てみると、今以上に企業名が付与されていたバス停が多くみられる。当時はネーミングライツ制度は無かったであろうから、目印代わりになるものとして企業名が付与されたのだろう。
ただ、この当時から会社の移転等により現状にそぐわない名称があったようで、1978年ごろにその多くが地名由来のバス停名へと改称されている。
ペプシコーラ前(宜野湾市)
ペプシコーラ前は、宜野湾市にあったバス停で、現在の第一大山である。
現在はニトリ宜野湾店がある場所に、かつてペプシコーラの本社と工場が立地していた。
バス停名は1978年ごろに改称されているが、ペプシコーラの本社は2005年頃に宜野湾バイパス沿いに移転するまで、ペプシコーラの工場は2011年頃に閉鎖されるまで、バス停前に立地していた。ただし、会社名は1994年に「琉球ペプシコーラボトリング」から「琉球飲料ボトリング」から改称されている。
2010年11月当時のGoogleストリートビューには、第一大山バス停と在りし日の琉球飲料ボトリングの工場が写っている。
改称にあたっては、ペプシコーラ前の1つ北には既に「大山」バス停があったので、「第一」という序数詞をつけて区別したのであろう。
ただ「大山」も一時的に序数詞がついた「第二大山」とされたようである。一時的にと書いたのは、1977年当時のバス路線図$${^1}$$では「大山」であり、1978年当時の新聞記事(投書欄)には「第二大山(第2オオヤマ)」に変更されたという記載があるが、1980年当時のバス路線図$${^2}$$では「大山」となっているためである。
バークレー前(浦添市)
バークレー前は、浦添市にあったバス停で、後の第二城間、現在のSCSK沖縄センター前である。
かつて、ドイツのフォルクスワーゲンの輸入代理店としてバークレー株式会社$${^3}$$$${^,}$$$${^4}$$が存在したようで、その会社を由来としたようである。
改称に際しては、バークレー前の1つ南には既に「城間」バス停があったので、序数詞をつけた「第二城間」となったようだ。
なお「ペプシコーラ前」が「第一大山」になるルールを適用すれば、「第一城間」になるのが自然であるが、恐らく、既存のバス停も含めて、南側(那覇に近い方)から「第一」「第二」という付与をするという法則を設定したのであろう。この理論であれば、既存の「大山」が一時的に「第二大山」になり、既存の「城間」が一時的に「第一城間」になり、自然と「バークレー前」は「第二城間」になるため、つじつまが合う。
企業名が外された「第二城間」は、冒頭でも書いたネーミングライツ制度により、2022年12月26日から、約40年ぶりに企業名に由来する「SCSK沖縄センター前」に改称された。
南洋土建前(読谷村)
南洋土建前は、読谷村にあったバス停で、現在の比謝後原である。
バス停名の由来となった「南洋土建」は、那覇市与儀に本社を移転しているが、現在でも存在する会社である(ただし2010年6月1日に会社分割をしている)。
南洋土建は、1954年に美里村(現在の沖縄市)から読谷村に本社を移転しているが、その3年後の1957年には那覇市に再度本社を移転している。そのため1977年時点どころか1950年代後半時点で、バス停前に「南洋土建」は存在しないこととなる。よって、冒頭の「会社が移転しており、バス停名称としては不適当」の事例に該当して改称したものであった。
なお、既に「比謝」バス停が存在するので「第二比謝」になりそうだが、かつては大字である比謝の中には幾つかの小字があったようで、その1つが「後原」であった$${^5}$$。ちゃんとした地名が存在するので、序数詞で区別という手段をとる必要が無かったのであろう。
オリオンタクシー前(沖縄市)
オリオンタクシー前は、沖縄市にあったバス停で、現在の美里入口である。
バス停名の由来となった「オリオンタクシー」は1959年(昭和34年)設立の老舗タクシー会社である。会社は、2007年(平成19年)に琉球バス交通と那覇バスの親会社である第一交通産業に買収されているが、現在もオリオン第一交通株式会社として存在している。
オリオンタクシーの本店が所在した「沖縄市字美里1199番地」は、2007年11月26日の住居表示により現在は「沖縄市美原一丁目1番6号$${^6}$$」であり、美里入口バス停の目の前である。
オリオンタクシーは、オリオン第一交通となったのちに、別の位置(沖縄市美里一丁目31番3号)に移転してしまい、跡地にはドラッグストアが立地しているが、少なくとも1978年のバス停が改称された時点から、2007年までの約30年間はオリオンタクシー前でも間違いではなかった。
なお、バス停の立地は、北向けが美原1丁目、南向けが東2丁目に立地するが、これらは2007年11月26日および2012年11月19日の住居表示以前は両方とも「字美里」であった$${^6}$$。よって「入口」がつかない、単なる「美里」への改称でもよかったと思われるが、字美里のエリアはかなり広大であったためか、シンプルな「美里」とは名付けづらかったのかもしれない。
中央配電前(沖縄市)
中央配電前は、沖縄市にあったバス停で、現在の江洲である。
本土復帰前の沖縄では、発電所から変電所までに電力を送る「発送電」と、変電所から各家庭までに電力を送る「配電」は別企業となっており、前者は現在の沖縄電力、後者は沖縄本島内に5社あり、そのうちの1つが「中央配電」であった$${^7}$$。「中央配電」は本島中部地域を担当しており、1976年に沖縄電力に吸収合併され、現在は「沖縄電力うるま支店」となっている。
企業名自体が変わってしまったので、バス停名もこれを機に地名に由来するバス停名に改称したのであろう。なお、改称にあたってはバス停が所在する住所から、シンプルに「江洲」となった。
ちなみに、立地的には「第二江洲」の方が、中央配電前であるが、このバス停が設置されたのは、30番・泡瀬東線が泡瀬営業所発着に変更となった2004年9月13日のことである。
改称されないバス停もあった
この時の改称は、バス路線が集中している国道58号をはじめとした幹線道路を中心に行われたようで、運行本数があまり多くない路線沿線のバス停名は解消されずに残った。例えば那覇市内では「沖縄サントリー前」や「沖縄シャープ前」、沖縄市内では「ナショナルクレジット前」などは、1977年当時から現在に至るまで改称されずに残っている。
脚注
運賃及び粁程表 昭和52年3月14日改定(1977年 沖縄県バス協会発行)
バスルートマップ沖縄(1980年 運輸経済研究センター発行)
おきなわ懐かし写真館 復帰前へようこそ(2012年10月 海野文彦 著)p.113
土地所有申請書 読谷村 比謝後原364~455(琉球政府法務局土地調査庁)p.7
アメリカ統治下の沖縄における発送電と配電の分離について(2013年 宮地英敏著)p.132