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25歳、訪問看護を語る。
私は現在、訪問看護師3年目だ。
若手としては珍しい訪問看護の分野で日々奮闘している。
訪問看護の仕事は大変だがとても楽しいし、自分にとって天職だと感じる。
今回は訪問看護の実際やなぜ天職だと感じるかについてお話ししたい。
訪問看護師の醍醐味はずばり、
「その人の人生に入り込める」ところだと思う。
理由は大きく3つある。
①お家という超プライベート空間にお邪魔する
②家族でも医療スタッフでもない絶妙な距離感
③長くつきあえる
理由①
お家という超プライベート空間にお邪魔するから
お家や、そこでの生活には、本当にそれぞれの人生が詰まっている。
家族の写真がたくさん飾られていたり、趣味であるDVDや本が山積みになっていたり。中には、お金がなくてカップ麺ばかり転がっていたり、肺がんであるのに大量のタバコを喫煙し、部屋がヤニだらけになっている人も少なくない。
だから、お家に上がるだけでその人の大事にしていることや、何に人生をかけてきたのか・何を大事にしていたのかを感じられて、とてもおもしろいし「この人の生き様なんだなあ…」と勝手にしみじみとできる。
理由②
家族でも医療スタッフでもない絶妙な距離感
そもそも訪問看護師というのは、白衣ではなくポロシャツを着て、歩きやすいスニーカーを履いて、必要なものをバッグにつめて、いろんなお家を回る。(医療スタッフではないと書いてるが、実際は医療スタッフ。でも、ぽくはない。)
実際にお家でやっているのは、医療行為である点滴や吸引(チューブで痰をとること)、薬の管理ももちろんあるが、話し相手になったり、部屋の掃除や模様替えを手伝ったり、Amazonでの注文方法を教えてあげたりといろんなことがある。たまに「自分何してんねやろ?」と思うこともあるが、それだけ生活に入り込めているんだなという実感もあって嬉しくなる。
つまり、家族でも医療スタッフでもない絶妙な立場になってその人と向き合うことでより身近な関係になれている気がする。
いい意味で医療者ぽくなく、対等な関係を築きやすいからこそ、深い関係になれて楽しい。
理由③
長くつきあえる
訪問看護の終わりというのは、病院への長期の入院や施設入所がきっかけであったり、その人が自宅で亡くなるまでというケースで、他には自宅で最期まで過ごしたいから訪問看護を利用する人もたくさんいる。入院期間がおおむね決まっている病院と違って、訪問看護の利用者は何年ものおつきあいになることが多い。
そうすると、元気な姿も、弱っていく姿も、その人の人生におけるいろんな場面に関われる。
状態が悪くなったとき、どこで死を迎えるのか、どこまで治療をするのかという問題にぶつかってくる。本人・家族の意思で決定されるけど、それを見守ったり支えたりするのが訪問看護師のケアの一つなので、その人の人生の大事な場面に関われることはとても有難いことだと思う。
以上が、私が実際にしてみて感じた訪問看護師の醍醐味だ。
利用者さんの大事な人生に触れる仕事なので、どれだけ仲良くなっても緊張感は伴うし、それを失ってはいけないなと思う。
経験も浅くまだまだこれからなので、一つひとつ丁寧に仕事をして「あなたでよかった」と思われる看護師になりたい。
技術もキャリアもなにもなかったけど、訪問看護の世界に飛び込んでよかった。