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日米友好のシンボル・ポトマックの桜 7

当時の日本の社会、風俗などを詳しく記録していた彼女は、この年の観菊会が美子(はるこ)皇后(昭憲皇太后)が伝統的な宮中の正装で出御した公式行事の最後になったことを残念がっていますが、幻想のように美しかった皇后と女官の優美な姿の描写は実に細密です。
美子皇后は翌年まで和装でしたが、以後は専ら洋装で過ごしたと、また当時日本に滞在していた多くヨ―ロッパ人は、日本人が性急に伝統的服装を捨てていくのを嘆いていたと記録されています。

出典:著者 石田三雄  発行:NPO法人近代史日本の創造史懇話会


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