日米友好のシンボル・ポトマックの桜 6
シッドモアさんが最初にワシントンに日本の花桜をというアイディアを思いついたのは、1885(明治18)年でした。
この年、日本は、最初の官約(政府間で協定した)移民988人が共同運輸の山城丸2,527トンでハワイに送り込まれていますが、それは鹿鳴館文化が最高潮に達し、坪内逍遥の『小説神髄』が登場し、正に日本人が「坂の上の雲」をしっかり見つめ始めた時代のことです。
この年の秋、日本を旅行していた30歳のシッドモアさんは、11月10日午后3時、赤坂仮皇居(元紀州藩邸)御苑において行われた観菊会に、日本の皇室から招待を受けました。
出典:著者 石田三雄 発行:NP0法人近代史日本の創造史懇話会