集団の思い込みを打ち砕く技術
今回のブログタイトルは、その名の通りの本の紹介からです。
この本の著者はすんごい苦労人の方です。
生まれつきインテリ系の家系に育ったお坊ちゃまとかではありませんから、本当の現実社会を知り尽くしているなと思います。
なぜ皆が同じ間違いをおかすのか 「集団の思い込み」を打ち砕く技術
特に今回のワクチン接種について書かれているわけではありませんが、みんな盲目的に専門家もどきの声を信じ、集団的にワクチン接種に走るという間違いを犯してしまった原因・対処法が書いてあるかと思って読み始めました。
出版社が気に食わなかったのですが仕方ありません。
本の帯の裏には
『「みんな同じ」の危険性と脱却法を解説』
とあります。
「みんなと同じ」が嫌いな自分としては必要なさそうな本ですが、社会を学ぶため、人の心理・行動を知るための勉強としてがんばって読みました。
(本当翻訳本って読みにくかったりするんですよね…)
まず「はじめに」にこんなことが書かれています。
『集合的幻想とは社会的嘘である。集団に属する個人の過半数が、ある意見を内心では拒絶しながら、ほかのほとんどの人はそれを許容していると(誤って)推定することで発生する。集団の総意をひとり合点して指針にすれば、誰も望んでいない行動をとることになりかねない。』
『人の言いなりになって同調すれば、幸福は失われ、個人と集団の潜在能力は埋もれたままになり、誰のためにもならない』
とあります。
今回のワクチン接種において、日本においては日本の元々の文化的背景によるものからなのか「同調圧力」もすこぶる機能しましたが、この支配者・製薬会社・政府・専門家もどきによるプロパガンダで作られた「集合的幻想」も十分機能したんだなと思います。
世の中には「本当は注射なんて嫌い」「ワクチンなんて打ちたくない」という人も多くいます。
たぶん「十分治験もしていない訳のわからないワクチンなんて打ちたくない」とまで思っていた人もいるかと思います。
しぶしぶ打った人も結構いるんですね。
しかしメディアを見れば「ワクチンは良いもの」だとみんな言っている。
実は「打ちたくない人」が結構いるにもかかわらず、「ワクチンを打つ人が大多数なんだ。それが普通なんだ。」と皆が勝手に想像し(集合的幻想)、皆がそちらの方向に走ってしまう。
今回のワクチン接種に当てはめるとこんな感じでしょうか。
もちろん自分で考えて接種された方は違いますけど。
でも、結構聞くんですよね。
「本当は打ちたくなかった」って。
集合的幻想という社会的嘘で煙に巻いて、さらに同調圧力で追い込む。
完璧ですね。
この本には、いろいろとドキッとする言葉がちりばめられています。
抜き出した言葉ですので、前後の文の脈絡がわからず、いまいちピンとこないかもしれません。
気になる方はぜひ本を読んでみてください。
・恥をかく不安からまわりに同調する傾向があげられる。
・多数派の意見に屈することは、判断についての個人的責任をうやむやにし、過ちを受け止めやすくする効果もある。
・他者と同じ行動をとる方が気持ちは軽くなる。自分の行動が正しくても誤っていても、である。
・個人の知識よりも社会の情報のほうが正しい場合には、模倣の罠にはまるのも悪くない。しかし残念ながら、そのようなケースは少ない。
・他者をモデルにして自分の行動を決めることは、死活問題にもなり得る。
・「狂気には群れごと走るが、正気にはゆっくりと1人ずつ戻るしかない」
・「なぜ」を問うことは、あらゆる連鎖反応を免れる手軽な万能ツールになる。このシンプルな問いの力があれば、自分の知識を捨てて他者の意見に従うことがなくなる。
・自分の判断を捨てて無批判に他者(集団全体や権威者)に従いたくなる誘惑には抗わなくてはならない。それは面倒に思えるかもしれないが、自分で考えることは個人にとって重要なだけでなく、社会全体が健全に生き延びるためにも必要不可欠なのだ。
・集団の総意と思しきものに同調しようとする無意識の衝動が人間にはある。
・集団への帰属意識がなく、集団の意見がただの幻想だったとしても、人間は多数派につこうとする。
・声なき総意は、間違ったことをしている実感がわかないので、きわめて有害である。
・問題は、この孤立への恐怖と多数派としてのメリットという独特の組み合わせのせいで、総意と思しきものならなんにでも同調しようとする動機が働くとことだ。
・口をつぐんで集合的幻想をのさばらせるのは自分と他者を積極的に危険にさらすことにほかならない。
・集団的幻想が支配的なところでは、誤った認識が個人の判断をゆがめ、病人と死者が発生するのだ(←マラリアの例をあげて)。
・うかつに規範の片棒を担げば、根本的な過ちをおかすことになる。
・社会的規範は浸透力と強制力が強く、見直される機会がほとんどないため、有効期限が切れても残り続けるリスクが常にある。社会的規範が変質して私的な価値観を抑圧し、大勢の人に恩恵よりも被害をもたらすようになれば、破滅的な事態はもう避けられない。人々は同調と集合的幻想の底流に引きずり込まれることになる。
・ソーシャルメディアが集団的幻想を増幅させる仕組みを正確に理解することが重要だ。
・反復バイアス:ある情報を繰り返し聞かされるとそれが真実であるように思えてきて、また、1人が言っているだけだとわかっているのに広く信じられているように感じられる現象を指す。
・ノイジーマイノリティ(声の大きい少数派)はそうして、自分が多数派の代弁者であるという誤った印象を作り出すのだ(←ホリ○モンみたいな人たちのこと?)
…声高に繰り返し断言される情報は広く受け入れられている真実と誤認されやすいため、彼らの主張は正確かどうか関係なく、現実をとらえていると受容されるようになった。
・この実験では、本人がどう思い込もうとも脳はすべてを見通していることも明らかになった。…つまり、好きなだけ自分に嘘をついてもいいが、内心の呵責からは逃れられないということだ。
・メディアが煽る分断を鵜呑みにすることはもうやめよう。
・私たちも自分に力がないと思いがちだ。実際には、同調に報酬を、反抗に罰を与えるシステムに参加して、みずから力を手放している。分別なき服従を、集団に属するための代価として受け入れてしまっている。そして気づかないうちに、社会全体を傷つける恐ろしい集合的幻想の協力者と化している。
・分別なき同調は誰もが取り得る最も身勝手な行動だと断言できる。…そして人々が警戒し合うように仕向け、協力し合う力を奪い、社会の進歩を阻んでいる。
一部のつもりが結構書いてしまいました。
今回のワクチン事件にどれもこれも当てはまりますよね。
実はワクチンだけでなく、社会全体にはこびっている問題です。
じゃあ集合的幻想を打ち砕くにはどうするべきか?
それは本を読んで欲しいと思いますが、まずは上記に書いたように、人の心理がどのようにコントロールされやすく、コントロールされているかを知ることが大事です。
そして自己一致(自分の信念・行動を一つにすること)を心がけることで、集団的幻想の霧を振り払えるとしています。
しかも簡単に。
本当は打ちたくない、ワクチンに疑問を感じているのに、「みんなはワクチン打ちたがっているんだ」と勝手に想像し、接種派になる。
これが「集合的幻想」です。
実は結構身近に「打ちたくない」「疑問に思っている」人がいたかもしれません。
そんなときに勝手な幻想に流されるのではなく、自分の本心を声にあげることで、「実は自分も、私も…」と賛同者が出てくることがあるかもしれません。
そうすることでその組織では「接種強要」という風潮がなくなったかもしれません。
上記にも
・口をつぐんで集合的幻想をのさばらせるのは自分と他者を積極的に危険にさらすことにほかならない。
って書いてありますよね。
自分の信念・考えと行動を一致させることが重要。
そしてできれば一人一人が声を上げることが大事です。
大きく声を上げなくてもいいのです。
友人と話すときに「ワクチンどうする?」って聞かれたら、「私は○○だから打たないわ」って言うだけでもいいのです。
決して話を合わせて接種するようなことは言わないことです。
あるいはそろそろ未接種であることもカミングアウトしてもいいのではないでしょうか?
その些細な行動が大きく広がって、人を助ける、目覚めさせることにもなるかもしれません。周囲の本音を引き出すことになるかもしれません。
ちなみいまだに、「えっ未接種だったの??」ってビックリすることがあります。
クリニックに出入りする業者さんのケースでした。
つい先日、未接種であることが判明したのです。
その理由は、「面倒だったから」。
・・・。
この方には信念もクソもなかったのですが親近感は一気にわきました。
ちなみにこの業者さん、「何回打ったか」聞かれたとき、クリニックに出入りしているから「未接種」とは言いづらかったらしく、「何回打ったことにしようかな…」と悩んで即答できなかったようです。
かわいいやつめ。
でもオッサンだけどね。