No.1013 地方文化の灯と人の心
先日、市内の生え抜きの地元人の家で生まれ育った同僚の女先生に、
「地域に馬頭観音の石像はありますか?」
と尋ねたら、
「馬頭観音はないけれど、お接待の時のお大師さまの石仏ならあります。」
とのことでした。
「お接待」とは、弘法大師(お大師様)の遺徳を偲んで、その命日にあたる旧暦3月21日と、8月21日に茶菓の接待をするという風習です。四国の隣の大分県にもお接待の文化があります。その年に担当となった家では「御弘法様(おこぼさま)」の石仏を縁側に据え、お供え物をし、赤い旗を目印にして「接待」する家であることを示します。
通りかかった人や地元の大人や子供たちがその家を訪れ、「お弘法様」を恭しく拝むと、
「よー、お参りしちくれたなー。お菓子をあぎょう!」
(よく、お参りをしてくれたね。お菓子をあげましょう。)
と言って、接待菓子やら、蒸かし饅頭やら、搗いた餅やらをいただいたものです。紙袋を持って村を回り、山を越えて隣村まで歩いて行ったことも覚えています。のどかで、楽しい年中行事でした。お参りするという敬虔な気持ちを子供心にも抱いたものです。
最近では小さな袋入りのスナック菓子が流行り、喜ばれるようですが、私たちが子供の頃の接待菓子といったら「吹き寄せ」と「眼鏡菓子」と相場が決まっていました。この時期だけの御まみえ的菓子でしたが、今は、滅多に見かけなくなってしまいました。
さて、先ほどの女先生のお話は、意外な方向に進んでいきました。
「うちの地区でもお接待はずっと続けられてきたんです。でも、子どもが小学生の頃、長い間の伝統が立ち消えになったんですよ。」
「えっ?理由は?」
「ある年、お接待の日にお参りした小学生に接待菓子をふるまったところ、『勝手に物を与えて食べさせないでほしい!』と新興住宅の親から文句を言われ、小学校の先生からは『地域の行事のない生徒たちに不公平が生じるので。』と行事を歓迎しないようなことを言われたんだそうです。長い間続けてきた地域の人たちが、『そんなことまで言われるくらいなら、もう止めようえ!』という事になってしまったんです。」
とのことでした。
「お接待」が「お節介」にしか映らなくなったのでしょうか?生活に根差し信仰に根差した地域の文化行事が、時代と共に、新たな考え方によって受け入れられなくなり、立ち消えになる現実を教えられたお話でした。
信仰心の薄らいできた人々、接待することの意味を解しない人々が確実に増えている中から「お接待」が消えてゆくことに愛惜を感じました。文化行事を支えて来たのは地域や地元の老人たちでしたが、彼らの気持ちが萎えるほど、新たな時代の度量の狭さにほとほと嫌気がさしたものと思われました。
同時に、守り続ける事が、後継者がいないという面だけでなく、精神的な意味合いにおいても、いかに難しい時代を迎えているのかと言う事を考えないわけにはいきませんでした。消えつつある地方文化の小さな灯は、さらに大きな文化への警鐘のように思われるのです。
日本の「お接待」を知らない子どもたちですが、「ハロウィン」はよく知っています。国も文化も歴史も異なりますが、背景にあるのは、人の心です。文化の喪失は、つまるところ人の心の喪失のように思われてなりません。