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No.936 一人で歩いたその道は?
俳人であり宗教家でもあった大山澄太さんが亡くなられたのは、1994年(平成6年)9月下旬のことでした。95歳の長寿でした。
大山さんは、7つ年長の俳人・種田山頭火(1882年~1940年)と親交厚く、山頭火への経済的支援を惜しみなくされた人で、山頭火を語れる生き証人として、広く文筆活動や講演活動をされました。
平成に入ってすぐの冬のこと、その大山さんが大分市の俳句グループに招かれ、佐賀関にある吉田会館で講演会を行いました。句会の一人が声をかけてくれ、私もお話を聞くことが出来ました。トップの画像は、その講演会の折の1葉(写真のコピー版)です。
卒寿をむかえようとしていた大山さんでしたが、かくしゃくとし、また、はつらつとしておられ、目に輝きがありました。自信にあふれたその話術は巧みで、山頭火の人生を語り、句の世界を切々と語る姿に魅了されました。来年は、彼の没後30年目を迎えます。
その大山さんの俳句には、こんなのがありました。
「あめに目をあけてあまがえるぬれている」
「落ちてどんぐり坐つている」
「坐しては観る山のむこうの山」
「此の道しかない一人であるく」
新傾向俳句をよくした澄太さんは、目も心も澄んでいた人物のようです。