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#21 ひと

”ひと”は動物だからこそ何かをして何かに出会うー。
何も突飛なことではないが、日々せわしく過ごしているとその当たり前のことを忘れてしまっている気がする。

外出せずに家の中で寝ていたとしても呼吸をしているし、寝転んでいても片手にスマートフォンをもって画面をスクロールしていたりする。そんな些細な行動でも夢の中で奇怪な話に巻き込まれたり、興味の有無によらず情報のシャワーを浴びることになる。
生活する中で偶然気がつくこともある。わたしはiPhoneの文字入力(ローマ字)でタイプミスをしたことにより偶然、zを押したあとに「h,j,k,l」を押すとそれぞれ「←,↓,↑,→」と矢印に変換されることを知ったり、iPhoneのホーム画面にある時計アプリのアイコンを眺めていたら時計の針がアナログ時計のごとく動いていることに気がつき、「アイコンは静止画」という固定概念を持っていたことを恥じたりした。高校入学とともにiPhoneを使い始めたのでいずれも気がつくまで実に約10年もかかった(汗)。

はたまた玄関を飛び出して出会うのは、風にのって飛んでいる小鳥かもしれないし、あなたにとっての小さな発見かもしれない。その答えは帰宅するまで誰も知らない。そう思うと出会いが待ち遠しく出かけたい気分になる。
わたしの過ごした5月を振り返ると、居住地から自転車で1時間以上かかる渓谷や地元の図書館を訪問したり、映画『すずめの戸締まり』の終映を見届けたりしていた。
渓谷に行き着くまでにはいくつもの坂を上り下りして太ももに乳酸をためることになったが、それでも行く価値のある都会の喧騒を忘れさせてくれる川のせせらぎとの出会いがそこにはあった。図書館ではひろゆき著『1%の努力』、堀江貴文著『多動力』と出会い、自己主体の"自分時間"を大切に過ごすことに羨ましさと共感を覚えた。
映画館では劇中で鈴芽と草太が出会ったように、わたしは映像で鈴芽と草太、そしてその声優に出会った。自身初の「終映舞台挨拶」観覧をして、上映開始から終映に至るまでの軌跡動画上映や誰推しかの挙手制アンケートのほか、キャスト同士がいつぶりに再会したかといった絡みの話や世界を回った舞台挨拶で印象に残っているエピソードトーク(新海監督の肌色の違う鈴芽のコスプレイヤーやファン手作りの動く椅子(草太の変身したやつ)との出会い話など)を聞いたり、さらには新海監督書き下ろしのもと劇中では見られなかった草太と芹澤の大学生としての絡みをその場でキャストが演じるのをみることができた。以上の特典をイオンシネマで映画代1,500円を払うことで本編のほかに堪能できたことに、ちょっぴり幸福を感じた(キャストが実際に訪れたのは日比谷の劇場で、その他全国の劇場は中継だったが)。

”ひと”は生まれてから死ぬまで幾度となく出会いがあり、別れもある。
そしてそのたびに”ひと”は何かを感じとる。”ひと”らしく生きるために、わたしは毎日に一喜一憂したいと思った。だってわたしは親といずれできる孫という人(ひと)の間に位置する有限の命をもった子(人間)だもの。

"ひと"を生き、人生を楽しもう。

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