日本はキンドレッド
昨日、韓国社会が「Descent」社会で、「祖先を中心とした系譜認識」を持つのが特徴だといいました。そして、特定の祖先中心の子孫たちが固まって大きな三角形のような「集団」をつくることになると説明したつもりです。大学の講義っぽいので恐縮ですが、本心は「ぜひわかってほしい」と思って、顰蹙を覚悟の上、説明させていただきたいです。この系譜認識の構造の違いが日韓の互いの誤解の元となっていると僕は考えていますので、共有できればと思います。
だとしても、僕の考えが必ずしも正しいというわけではなく、一つの見方として「可能性」があるのではないかと僕なりの問題提起と思ってもらえると嬉しいです。社会を知るためには実に様々な見方があるでしょうが、あ!こんな見方もあるのか?今まで聞いたことがない見方だな!と理解してもらえたら何よりも喜びと思います。
昨日の話をもう少し補充させてください。僕の先祖(1代目)は、「15歳のときに唐(中国)を見物し、それから儒学者となった」と文集に書かれていました。僕が中学2年生のときに(つまり、満14歳のとき)、父が「君は日本に行きなさい」と突然いい出しました。中国は当時毛沢東時代だったので国交もなく、行こうとしても行けない国だったので、代案として「日本に行け」といってくれたんです。何がいいたいかというと「韓国民は歴史を生きる民族だ」ということです。自分の人生を先祖の生き方に合わせて、影に影が重なるように生きることに価値を見出す社会といいたいわけです。僕は少年でありながらこんな珍しい経験をさせてもらえたのです。
朝鮮王朝の法律もこの考え方と同じです。朝鮮王朝の歴史の中で法律の基準はいつまでも「大明律」(明朝の刑法)でした。朝鮮の王は、「時代の変化に合わせて法律を補強」するのではなく、何と古い法律に、しかも冊封体制の頂点の中国の法律を根拠に解釈するわけです。実に不思議ですね。時代は変わっていくのに、古い中国の法律が基準になるわけです。それでも、国も違うし、時代もどんどん新しくなるのだから、大明律の法規定ではどう仕様もないことが生じます。このような矛盾や非合理が発生しますと、朝鮮王朝は、朝鮮王一代限りの時限法で対処します。これを「録」といいます。録は一代限りの臨時的な法律です。朝鮮の王は新たな法律を作るのを王の不徳の所以と思っていました。武治の日本ではありえない真逆の発想だったわけです。朝鮮王朝は500年間、だった一つの法律(経国大典)で頑張ってたというか、通していたわけです。驚異的な考えでした。幕府が時代に合わせて法規を新調していくに対し、韓国と中国は古い過去の法律のまま新しい時代を生きてきたわけです。今回は紹介できませんが、井上馨が中国の李鴻章と朝鮮の高宗王に別々の機会に会って、同じ質問をします。服装や制度の話ですが、「先王からのしきたりを守っているんだ」というような言い方で井上馨の提案を丁寧に拒否します。井上馨は多分がっかりしていると思いますが、このズレは面白ですね。
日本の話しをしましょう。
まず、親族体系ですが、日本の親族体系は決して三角形にはなりません。
いい絵が見つからなかったので、全部同じ色の絵しか見つかりませんでした。ご了承願います。三角が男、◯が女性、横線が兄弟姉妹、下方のコの字形の線が結婚、斜線が引かれているのは死者を意味します。
絵では自分(エゴego)が女ですが、男でも女でも構いません。エゴにとって「私の親戚」というと上の絵のような関係でしょうか。結婚するともっとひろがしませんが。しかし、左端の女子を基準に考えると、この絵では示すことのできない「なくなった祖父の兄の兄弟の子たちは当然親戚」になるわけでしょう?
つまり、韓国のような三角形の社会では三角の中の誰でも「私の親戚」が変わらないですが、日本は、「私」が誰なのかによって「親戚が異なり」ます。韓国のような排他的な親族集団が形成されるわけでは決してない。そのため、親族集団が誰を基準にするのかによって、全員異ってしまいます。つまり、日本の場合は親族集団ではなく、関係のみが残ります。他の人が絶対入れないような集団がなく、出入りが比較的自由な関係のみで親族が規定されます。説明が下手で恐縮ですが、日本のような親族体系をキンドレッドといいます。英語ではKindredと書きますが、訳すことができないので研究者はそのままキンドレッドといいます。
キンドレッド社会がみんな同じなのかどうかはまだわかりませんが、「一族の歴史」というのは日本ではそこまで意味がありませんでしょう?NHKのファミリーヒストリーを見てると不思議な感じがします。へえ〜〜、こんなに近いのにお互いが知らないのかと僕は見る度に驚きます。みんな生きている自分を中心に系譜関係をたどるからでしょう。こんな薄情な(?^^)ことは韓国では考えられません。韓国では士族の場合は「譜学」といいまして、一族のご先祖様の一人ひとりが個性を持ちます。というのは、あの先祖様は15歳のときに唐に行って・・・、という風に覚えているのです。また、3代目の祖先は戦乱を逃れて避難してきた、某一族の〇〇さんを隠してあげたので向こうの一族はうちの家系にとても感謝してるよ」というふうに詳細に覚えています。僕が高校生の時に先祖のゆかりの地に戻りますと、噂を聞きつけてた他一族の代表たち(60代か70代の)が僕にお礼をいいにきてました。約350年の時空を乗り越えて、そのはるか遠い未来の子孫たちがはるか遠い子孫の僕に挨拶に来るわけです。
僕は意外と(?)このような礼儀作法がきちんとできる方だったので、高校生の僕一人と他家一族の年寄たち十数名が深々とお辞儀を交わし食膳をともに分けてました。
今思うと実に滑稽な風景ですが、僕のあだ名が「おじいちゃん」だったせいか、僕はなぜかこのようなしきたりがきちんとできる方でした。なので、父がいつも僕を派遣していました。「その際はうちの先祖を匿っていただき深くお礼申し上げます」と年寄たちからいわれると、高校生の僕が「とんでもないことです。それが道義でしょうから!」と交わしましたね。
①韓国は三角形のディセント社会 日本はキンドレット
②垂直的な系譜認識 横に水平的に広がる系譜認識
③親族集団 関係でなりたつ
④歴史深度が深い 深度がせいぜい3〜4代
⑤歴史を長々と生きる 歴史も塗り替えしていく
まあ、このような構図がかけると思います。今日も日韓の間では常に歴史問題が問題だ問題だといわれますが、問題だという人にも問題があると僕は思います。
どこまで一般化ができるのか、すべての社会を全社会を調べた訳では無いですが、ディセント社会の韓国とキンドレッド社会の日本では、歴史認識の深度に明らかに差があります。日韓政府は毎回、「両国の歴史認識のズレを直し、共有する必要がある」といいますが、その前に社会の構造の構造、問題の問題にまで深く切り込む議論が必要だと思います。
より重要なのは僕が指摘しているように、文化という氷山の底の底の部分を互いが理解することかスタートしなければならないと思います。
そして、日本における<公>は韓国とは真逆なほど異なります。
韓国が、「公が限りなく小さく、私が限りなく広い」というのは韓国編ですでに述べました。
日本は、「公が限りなく広く、私が極めて狭い」のが特徴だと思います。日本は、「家の門の外に一歩でも出たら、そこは公」なのではないでしょうか。