㉖ 下層のエクリチュール2

 いい仕事をしているから必ずしも上級のエクリチュールをいっているわけではありません。単刀直入にいうと韓国民は低い方のエクリチュールを使っているのではないかと強く思っています。こんなことはなかなかないと思うけど、なぜか韓国人の言葉遣いを聞いているとエクリチュールがどうしても下級のものにお見えてしまいます。

 先の尹の弾劾裁判の弁護士の頭もどうもおかしい。どう見ても下級にしか僕には思えないのに弁護士か、でもせっかく弁護士となっているのにエクリチュールが低すぎます。こんなのが地位の高い人間にもよく見かけます。尹錫悦のその家族も義理の母にも浅はかかつ乱暴な言語生活が見られます。

 まずは弁護士から。尹の弁護士はよりによって全員異常な人たちばかりです。弁護士でありながら暴徒を扇動したり、捕まったら弁護士の私が無料弁護いしますとか、普段弁護士としてはありえない発言、つまり下層のエクリチュールを無遠慮に発しています。

 社会的な地位が高いといっても、エクリチュールが比例して高くならないのが韓国社会の特徴と僕は思います。入試対策ばかりで真の意味での教育がなかったからでしょう。 
 保科正之が将軍の前に控えの間にデビューしたのが21歳だったかな。彼は4大将軍の腹違いの弟でありながら、自らの選択で控えの間の末席に座っていましした。ケネディが「最も尊敬する政治家と激賞していた上杉鷹山は少年時代に領地を見聞する際に、指導役の武士が、馬からおろして歩かせましたでしょう。農民の田んぼや畑を足で踏まないように配慮したからです。極めて残念ながら韓国にはこんな偉い方は一人もいません。学んだこともないし自分で懸命に探しても「踏みにじるえらいさんはあっても、民に配慮して優しい心の持ち主は一人もいませんでした。いるよといっても僕が直に調べて納得しない限り僕は信じません。自分の読み方を大切にするタイプだからです。日本の歴史で称賛されている偉人たちの面々は韓国人が勉強して害になるはずがないのでぜひ勉強してほしいと思います。でも、このような話は無駄でしょう。なぜ?エクリチュールが低すぎるのでこのような健全な提案は、前回書いたチンピラにとってモーツァルト云々が禁じられているように、韓国の下層のエクリチュールの民には危険な主張になるからです。

 中国でも同じでしたが、朝鮮においても「民」は無知な方が王としては統治しやすかったのです。「民」の字義をご存知でしょうか?

 意外にも「人の目を棒で突いて見えなくする」という意味だそうです。民が目が見えないので王は棒や紐を民に持たせ、王が「導く通りにただついてくればいい存在」「自分からは動けない存在」それが「民」だったわけです。中国の文献名をうっかりメモしてなかったのが今でも悔やんでますが、朝鮮王朝でも王により「文字教育」が禁じられていたわけです。「文字を教えると民が余計なことをする」からという理由からでした。脱北者の話を聞くと何と北朝鮮も同じ発想で住民を統治していると思います。国民を無知にする!まさに「民」のみを欲しがる政権といえます。時代遅れの実に憤慨せべき対象ですね。
 
 江戸時代の幕府の指導者たちは「心」の持ち方をかなり重視していたと思います。韓国では大統領の弟や親戚となると大変な富をいとも簡単に得てしまいます。だから毎度逮捕されるわけです。いくら逮捕されても韓国人は経験から学ぶのがとても苦手で、また同じ悪行を存分に発揮してしまうのです。
 金建希もおその義理の母の崔銀順の悪行に関する分析は追って分析していきます。 保科が1615年頃からやってきた様々な心持ちの美しさは称賛されて当たり前。鷹山は殿様でありながら、生涯一汁一菜を通してというのではないですか!韓国にも儒学者の中には確かに倹約家がいたと思いますが政治家には一人もいませんでした。みんなが民を絞りに絞ってまさに苛斂誅求ばかりをしていたのでした。全斗煥は「賄賂の金に生まれそうだった」といってましたし、盧泰愚は「賄賂泰愚」と揶揄され、金大中はは息子二人が、金泳三は息子が、李明博は自分自身と兄がやりたい放題、取っていました。不思議なことに誰一人ブレーキが働きませんでした。


 少しでも想像力があれば、5年任期の後は「必ず責任が取られるはず」と思わない。こんな不可解なことが生じるわけです。

 下級のエクリチュールだからこそ「日本から学ぼう」がいえないのではないかと思います。このままじゃシンガポールの李光耀 のような指導者はいつまでもうまれてこないでしょう。韓国社会が自らのエクリチュールが下級のエクリチュールということを学び取るのは遠い未来のことでしょう。なんだか苦いですね。

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