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52 「小学校、小さな社会」 山崎エマさん
なにか嫌な話ばかりでしたので、今回はアーティストの素晴らしさについて自分の思いを紹介させていただきたいと思います。
最近、めでたいことが続いています。日本人では山崎エマさんがアカデミ賞のドキュメンタリー映画部分で金賞を受賞していますが、題材が日本の小 学校の学校教育だというので、僕も「小学校」については個人的にも深い興味を持っていることもあって引かれるところがあります。まだ、見てはないですが、上映館を探して見たいと思っています。
そして、去年の年末、韓江作家がノーベル文学賞をとったのも素晴らしいと思います。まだ本を読んでいるわけではないですが、ハングルで読みたいので今度戻ったら読もうと思います。韓江の『少年が来る』は、光州事件の被害者の観点からの描写のようです。最初の部分の描写が僕が昔軍事訓練を受けた場所のようだし、光州事件の直後だったので軍服を着て光州市内に出るときは異様な感じでした。これについても後で少し触れたいと思います。
また、先週だったかな?韓国系アメリカ人の監督と俳優による作品、BEEFがドラマ部門のアカデミ賞といわれるエミ賞で作品賞を取ったそうです。韓国系の作品がエミ賞の大賞を取ったのも初めてらしいのでなお素晴らしいと思います。
アーティストは人間の精神を豊かにしてくれる奇才と思います。僕もアーティストに憧れますが残念ながら自分には何の才能もないので、たまに自分の両腕を嘆いたりしています。あなたにはなぜ何の才能もないのかと。
今日は山崎エマさんの小学校の話を取り上げてみたいと思います。日本の小学校の先生たちの献身ぶりをみると自然と頭が下がります。息子が小学校附属幼稚園に1年間通っていました。送り迎えによく行っていましたが、暑い夏の日でも先生たちは汗にまみれながらも子どもたちを必死に囲んでいるようでした。真摯な表情そのものから「無事お返ししますよ」というメッセージが伝わってきます。教科過程も大変良かったと思います。世間では「教育がだめだ」「教師がもっと努力すべきだ」と揶揄される度に、僕はあの異様な指摘に現場の先生たちが傷つかないように願っていました。問題となるのはだいたいイジメ問題が多いように感じますが、先生個人の責任というよりは体制の問題と指摘すべきでしょう。
山崎エマさんの作品が教育大国フィンランドでも話題となり、教育関係者や批評家から、「日本の小学校教育の場らしさから学ぼう」という動きが広まっているようです。地震対策訓練や子どもたちが給食を配分するような、子どもたちが集団で、力を合わせてなにかを実践することがフィンランドにはないらしく日本の教育から刺激を受けているという話でした。
そして、日本の小学校の特徴は地域に根ざしているという点でしょう。地域に根ざしていない小学校があるのか?といわれたら、僕は韓国の小学校の話をします。ここの⑦と⑩の記事で紹介しましたとおり、韓国人は引っ越す民族なので小学校とも地域社会とも縁が切れてしまいがちです。息子と娘は同じ小学校だったので昔の先生がまだ元の小学校に残っていたりします。先生が卒業生を覚えていたりするので、これも驚きました。僕はいつも学校を語りたければ地域社会とのつながりの中で語るべきとよく言っています。海外の事例がわからないとどうしても一面的にしかならないでしょう。地域社会と学校のあり方自体が日本と韓国は異なるから、教師の取り組みの姿勢にも影響するのかと思い込んでしまいます。
山崎エマさんの作品をまだ拝見してませんが、日本の小学校教育がどのように描かれ、諸外国の学校現場で受け入れられるようになったのか是が非でも見てみたいと思います。日々の不愉快な記事ばかりを扱いつづける鈍重な頭の洗浄材になること間違いないでしょう。
僕も実は小学校の教師になりたかったし、妹には「ぜひ小学校の先生を!」と勧め、去年妹も小学校教師を定年退職しています。僕が小学校に頼みたいのは「礼儀、道徳、心育」ですが、韓国の小学校では、このような教育内容ではないようです。妹に頼んで全学年の「道徳教科書」を確保していますが、やはり内容を見ると「家族親族内の長幼の序」などが多く、この点は40年前に僕が来日する際に運んできたものと殆ど変わりがありません。私的空間での礼儀ではなく、公の公衆道徳的な内容を期待してましたが、残念でした。そして、妹の話を聞いてみると親にはモンスターが多く、よく教員を訴えるそうで「ほぼモンスターの一人勝ち」の判定になるんだそうです。そういう両親からは子どものまともな成長があるわけではなく、問題児が多い」という話でした。日本なら評論家たちが、「問題児の裏には寂しさがあるはず」と助言するから正しい方向に見直されることが多いと思います。しかし、妹の話を聞くと「助言者」が一切いないような状況に見えます。日本の小学校に比べると、韓国の小学校はまだまだ「成長の要素」が少ないと思います。「社会を読む、親の行動を読む」発想がない(まったくない?)と思いました。
いつだったかな、韓国の幼児教育学会で講演したことがあります。学会ですから現場の教師たちも大勢来ていたと思います。ここで僕は「ことばの成長」が子どもには非常に重要という話をしていましたが反応が非常に薄かったので非常に驚きました。その後の懇親会でも誰からも質問が一つも来ていませんでした。あ!!「日韓の差!これか!」と一人で納得していました。その会場に妹の同級生いたらしく、昨年度の突然同級生から「お兄さんと思うけど」といいながら、当時の話をしていたそうです。今になって「やっと意味がわかった」というから遅すぎますね。やはり人間は死ぬまで勉強ですね。