エッセイ:善きサマリア人を守るのは誰か
2022年7月ごろに書いた記事。元総理大臣が銃撃され死亡したというニュースが日本全国を騒がせていたころ。
安倍さんの事件で、要人警護やカルト問題、死の政治利用とかが議論されている。
それらもとても大事なんだけど、日本でも「善きサマリア人の法(Good Samaritan law)」の議論が進むといいなと思う。
まず、あの現場に駆けつけて救命処置をした医療者にたいして、同じ医療者として敬意を払いたい。
あれは凄いことだ。もしあそこに俺がいたら、駆けつけることに躊躇していたと思う。怖いからとか、驚くからとか感情的な意味でなく、法律的な意味で。
日本には「善きサマリア人の法」に該当する主旨の法整備が進んでいない。
「善きサマリア…」とは「災難に遭ったり急病になったりした人など(窮地の人)を救うために無償で善意の行動をとった場合、良識的かつ誠実にその人ができることをしたのなら、たとえ失敗しても結果責任を問われない」というもの(Wikipediaより)。
例えば、飛行機の中で「この中にお医者さんはいませんか?」的な状況。居合わせた医療者が懸命に処置をしたが、運悪く失敗し、患者が死んでしまった。このとき、処置した者の医療過誤の責任を問えるか否か?
欧米の先進国では、こういう状況で処置した者を守る法律がある。でも、日本は曖昧なので、下手に手を出すと、訴訟される可能性がある。
日本の医師はそのことを良く知っているから、むやみに名乗り出ない。失敗して損害賠償請求されるリスクがあることを知っていたら、知らぬ存ぜぬを決め込むことのほうが合理的だ。それは医療者が悪いのでなく、制度が悪い。道徳心そのもの問題ではない。道徳心を抑制させる、制度上の問題だ。
俺も仕事とは無関係にそういう場所に居合わせることもあるし、実際に処置することもある。転んで頭から血を流してる酔っ払いとか。まぁ、大したことはしないし、できないけど。
でも、今回の一件は、患者は元首相であり、メディアにも観衆にも撮影されていたあの渦中で、医療過誤を起こしていたら、訴訟を起こされるリスクがはるかに高い。俺だったら、そんなことが頭をよぎって、ビビって静観してたと思う。
推測だけど、駆けつけた医療者はそんなことは考えることなく、「思わず体が動いた」んだと思う(だからこそ「善きサマリア人」に当てはまる)。凄いことだ。
以前、相撲で土俵の上で市長が倒れた「女性は土俵から降りてください」問題があったときも、男女差別にばかり終止し、政治家たちは、あの看護師を称賛するだけだった。善きサマリア人の法の話は、耳にしなかった。
このままだときっと、世の中は今回の一件を感動のストーリーとして消費し、忘れ去るだろう。精神論や自己犠牲を称賛して、具体的な対策を取れない悪い癖だ。
善きサマリア人の法の、日本版。通称「シンゾウ法案」なんてどうだろう?国葬とかよりも記憶にも記録にも残る。
彼ら、彼女らの善意からの行為が、訴訟につながらないような社会。そういう社会だったら、俺も躊躇することが減ると思う。