距離感と温度
両親の辛かった生い立ちや、生育過程でのあれこれも大人となれば成程に理解が深まる。
だから彼等を赦さねばと言うのも理解出来るし、そうする事で自分の自我がコントロールを喪い、自分が辛くなる事も理解している。
改めて程よい距離感が両親と有れば、今も彼等を大切にとまではいかなくても、気遣う気持ちを持てる自分を許せたかもしれない。
数日前、新しいオーブンレンジが自宅に届居た。
アタイはレンジを早速使い、火の通りが柔らかい事に感動をした。
天板をから焼きしてからでないとオーブンは使えないから、と、天板を洗った。
オーブンで何を焼こう。
これからの季節、焼きたてのキッシュ、お母さん喜びそうね。
お父さんなら結局ケーキに1番喜んで貰えそう。
…そう、1番に自分よりも両親が喜びそうなメニューを浮かび上げる自分に涙が出た。
きっとこの気持ちは堪えなければ前へ進めない悲しいモノだ。
他者からは意味不明な世界だと思う。
しかし、アタイの境界性パーソナリティ障害と言うより、精神的虐待特性の強い彼等は今もアタイのパーソナルスペースを知らない。
自分達の生活スタイルで自分達の感情を第一とし、そこにアタイは合わせなければアタイの存在意義は成立せず、また彼等の不機嫌な時間を互いに過ごさねばならなくなるのだ。
アタイの家族は機能不全。
アタイが被虐的な形でないと、家族が家族のスタイルを取れない。
そこに悲しいけれど、アタイの幸せは無い。
もっと距離感が塩梅を取れていたら、アタイはこのオーブンで彼等の笑顔に笑顔となれたかもしれない。
妹にはエッグ入のミートローフが作りたい。
彼女は肉食が1番好みだから。
お野菜もねって、温かい野菜スープも添えたい。
でも、全部やっぱり絵空の話。
もっと自然な距離感の家族であったら、アタイの楽しいも幸せも、彼等の笑顔もまた叶ったにきっと違いない気がする。
タラレバの話でしかないけれど。
熱が出ようとアタイは鶏がゆをウヒウヒとこさえ、2時間事にバイタルもみながら白湯にレモン汁とはちみつを入れて生きいきと生きている。
我ながら逞しい。
精神的にサバイバルして生きてきた故か、ちょっとは焦るけど想定のパターンを目の前にしながら生き抜けそうな感覚はある。
自分の死を完全に想定内として生きてきたから動じない自分をとても良く知っている。
腹が立つ位に可愛げ無いのが切ないくらいに。
頼れない人間にはなった。
アタイみたいには誰にもなって欲しくない。
頼れる生き方は柔らかく温もりがあり、素敵だ。
きっと人徳って言葉が似合う方だ。
孤独の正反対側の話。
熱は37度から動かなくなった。
明日には下がりそう。
既に関節痛むし、今がピークな感覚。
ふと、今天に引き上げられるとしても家族の顔がチラつきもしなくて、ちょっとだけ申し訳無くなってこの文を書いている。
パグLove先生か青空先生にはアタイが亡骸となった時に頑張りましたって褒めて欲しいな。
そんな、未だに子どもみたいな気分を持つ、未だに承認欲求が強い自分を知る夜です。
朝晩と昼間の気温差がなかなかある日々。
これを越えると、秋というより冬の色が濃くなる気が致します。
ここまでお読み下さり有難う御座いました。
皆様が健やかに暖かく明日の朝を迎えられますように祈っております。
幸せは手のひらの中に。
ぎゅっと握って素敵な夜をお過ごしください。