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悪夢で起きた朝の祈り

奇しくも今日は長崎へ原爆が投下された日。

昨夜アタイは生きて戻ってきて幸いですと言う事が叶わない、そんな元日本兵の方々の証言を集めた関連文を読みながら寝落ちした。

アタイの悪夢は父に自宅へどうやら戻されたみたいで、父に一日中監視され、何故か今は亡きLIVE友達に電話しているのすら気付かれていて、寝る
時に同じ部屋にベッドが並んで居るのを見て絶望する…の、絶望した瞬間に今朝は目覚めた。

アタイの中の絶望とは家族。
そして、長女なのに逃げたと言う罪悪感。
また、生きてしまっている事での自分が世の中のお荷物になっている感覚。
多分、希望が見えない所なのだと改めて理解した。



77年前の長崎

昭和20年8月9日午前11時2分。
長崎に原爆が投下された。
予定目的地が雲により視界が悪く、場所を変更しギリギリまで粘った所での投下だった。

長崎には神父等の海外の方々の被曝も多かった
浦上天守堂(幻の原爆ドーム)
この写真はローマ法王をも動かしたのだが
この当事者である少年の行方は未だ不明のままである。


生きている事が当たり前で
生きている事の中に幸せがある事が当たり前で
生きている事は前向きな事だと思える事
しかし、それは当たり前では無い。

死に行く事が当たり前で
死ぬ事が幸いであり
死に行く事が前向きな事である場合
それは、当たり前に死が身近な世界だ。
しかし、それも当たり前では無い。

戦争は人々の当たり前を壊した。
何代も続く供養だけでは無く憎しみをももたらした。

これはホロコーストのモニュメント

生き延びる事が
死に行く予定から外れた事だと
人の心は後悔をも背負って生きる羽目になる。
記憶の中の地獄は死ぬまで消えはしない。
辛さを口に出す事も何十年とかかったりする。

地獄の先の平和を
感じる事が出来た人も出来なかった人々もいる。

アタイはまだまだ復興途中。
この先に平和があるのかは不鮮明だ。
それでも未来の平和な世界を祈って行こう。

午前11時2分。
77年前の長崎の方々へ鎮魂の祈りを捧げる事。
アタイは胸に刻み続けたい。

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ちピロ
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