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日本ハム エスコンフィールド なぜメジャーの球場は左右非対称なのか?
メジャーの最先端のトレンドを取り入れたエスコンフィールド。そのトレンドの歴史的源泉に迫る。
なぜメジャーの球場は左右非対称なのか?
それはベースボールの歴史を紐解かなければこの問題に答えることはできません。一言で言うと、プロのべースボールが郊外型ではなく都市型のスポーツとして発展を遂げてきたこととそれは密接に関係があります。
最初にどうしても必要な伏線なため T型フォードの話から入ります。なぜならば、このT型フォード出現による大衆車社会に突入したことがボールパークの形状とも深いかかわりがあるからです。
T型フォードの出現は1908年であり1920年代になって数千万台の普及をするに至り、一人一台の時代に突入したのは1960年代に入ってからです。すなわち1900年代初頭というのは鉄道社会であり、1900年代初頭のアメリカでは飛行機も自動車も社会に普及はしていなかった。
つまりベースボールの創成期、まだアメリカは車社会ではなく鉄道社会であり必然ステーションを中心に都市が形成されてゆくわけですが、駅が設置される場所は多くの人が集まる都会が選ばれることになり、ベースボールのボールパークも当然 都会の一角に作られることになります。具体的には街のワンブロックそのものを購入しそこにボールパークを建設することになったわけです。
例えば1900年台初頭に作られたフェンウエイなどはまさに街のワンブロックをボールパーク化したものです。ワンブロックということは敷地が長方形となり、球場も無理やりブロックの中へ押し込むために左右非対称の歪な形状にならざく得なくなり、スペースの関係上観客席とフィールドの距離が極めて近いボールパークが出来上がったというわけです。
しかし1960年代になって車が一人一台の時代に入ると
●高速道路網の整備
●中東から安いガソリンの安定供給
●鉄道会社の消滅
によって、アメリカは車社会を加速化させていきます。この鉄道社会から車社会への移行はボールパークへの変化も要求することになります。具体的には幹線道路沿いの広大な土地にたっぷりとしたスペースの中、合理的なボールパークが建設ラッシュされるようになるのです。トレンドは都市型から郊外型へ。具体的には郊外の大きな敷地において円形のシンメトリーの全天候型人工芝の多目的に使用できる球場が数多く作られるようになったということです。
円形のシンメトリーな球場。ひらたく言えば、日本で言う東京ドーム、大阪ドーム、福岡ドーム、北海道ドーム、名古屋ドームが今から半世紀前、アメリカでは最先端トレンドのボールパークであったわけです。日本にある数多くのドームを見てもわかるように、どの球場も大きな特徴は特にありません。金太郎飴のように、どこで切ってもほぼドーム球場は左右対称でありほぼ同じ姿をしています。
ところでクッキーを作る時の型を<クッキーカッター>と言います。クッキーカッターさえあれば均一のクッキーが量産できます。日本語ではどこを切り取っても同じ様を<金太郎飴>と表現しますが、アメリカでは特長のない球場群を通称で<クッキーカッター>と表現しました。できた当初は<クッキーカッター>の物珍しさも手伝って近代化を歓迎する向きもあり、ドーム球場にファンは熱狂したのです。しかし、時間が経つにつれて観客席とフィールドの距離も遠くなりどこを見渡しても左右対称となったために、ファンの心はボールパークから離れてゆくようになりました。青い空とグリーンの天然芝の狭間に白球が舞うといった野球の原風景をベースボールファンは懐古するようになったのです。
このファン離れの危機を脱すべく登場したのが、新古典主義として敢えて左右非対称のオールドファッションに身を包みながら 街の風景と一体化し最新の設備を備えたオリオールパークでした。オリオール・パーク・アット・カムデン・ヤーズが球場の歴史的なトレンドに大きな変化を与えたのです。カムデン・ヤーズの出現によってボールパークのトレンドは再び歪な左右非対称を人工的に作り上げファンのニーズに合わせるべく流れてゆくことになります。
以上、ボールパークの歴史にとって1960年頃が大きなひとつの境目になっていることがわかります。車社会への突入と同時に1960年頃から飛行機の時代に入ったことによって、はじめて本拠地を西海岸へ移転することが可能となった。選手が全米を移動するには飛行機が必要だったわけです。かつてニューヨークにあったブルックリンドジャースがロサンジェルスへ移動したのが1958年であったのも歴史的な経緯があってのことです。
ちなみにドジャースの語源を知っている人も多いと思いますが、ドジャースとはもともと<避ける人>という意味です。何を避けるのかというと、当時ブルックリンの街を往来していた路面電車を避けていたということです。まさにドジャースは鉄道時代の名残。その路面電車も1960年頃を境にして街から姿を消す時期を同じくして、ドジャースもブルックリン地区から姿を消してゆくことになるのです。
夏草や 兵どもが 夢の跡
芭蕉の句を想起させるエピソードと言えるかもしれません。
最後に参考まで
ドジャースのブルーは西海岸の青い空に由来するものではありません。路面電車を避けながらブルックリンドジャースの本拠地であったエベッツフィールドへ通っていたブルーカラー(肉体労働者)のドジャースたちに由来しているのです。
これから日本の野球場もMLBを追従してシンメトリーなドーム型から左右非対称の形状へトレンドは変わり、メジャーにおけるオリオール・パーク・アット・カムデン・ヤーズが果たした役割りを日本ハムのエスコンフィールドは担ってゆくことになるでしょう。