読解力が身に付かない本当の理由
佐伯胖にどハマりしている私だが...
またまたこの「わかり方の探求」という著書もやっぱりおもしろい。
最近気づいたのだが、本にもいろいろあって、イントロが最高におもしろい本やだんだんと尻上がり的におもしろくなってくる本、後半のラストスパートがおもしろい本など、さまざまなタイプがある。
佐伯胖の著書は、初めから終わりまでおもしろいタイプの貴重な本だ。
でもおそらく1年前の私はこの著書の半分も理解することができなかっただろう。なぜなら理解するだけの知識のネットワークを持ち合わせていなかったからだ。
理論と実践の往還があってはじめて、佐伯の著書の内容が理解できるのであろう。
この著書の中に、読解力が身に付かない本当の理由が記されていた。読解力の定義はいろんな人がいろんなことを言っているのだが、まぁそれは置いといて...
佐伯によると、読解力が身に付かない子どもは、国語だけでなく、算数や理科...いろいろな教科で読解が苦手なのだそう。
まぁこれまで受け持った子どもたちを思い起こしてもそこは納得。その通りなのだと思う。
ではその子たちに何が足りないのか...
それは...
ざっくり言うと、推測や推論が足りていないというのだ。
読解力が身に付かない子どもたちというのは、文章に書かれていることのみ(字ヅラ)を追い、そこから推測や推論をすることをしないのだそう。
「どうしてこうなったのかな?これはどういうことだろう?」
などを思わないのだそう。これは言い換えると、「問わない」ということになるのだろう。
結局は問う力が関係しているということだ。
国語の読むことの授業、特に文学の授業では、伏線を読めるか読めないか、文脈を読めるか、読めないかで読みの深さが大きく違ってくる。
読解力が身に付かない子というのは、書かれていないことを想像したり、予測したりすることが苦手なのだろう。いや、苦手というより、そういう読み方や学び方を知らないのかもしれない。
だとすれば、それは教師が教えてあげないといけないスキルで、できるようになるまで教えていかないといけないことなのだろう。
ただ文章の構成やテクニックを教えるだけでなく、書かれていないことを読める力、算数では、見えないものを見える力、このような学び方や思考の働かせ方こそ、学校の教室で教えるべきことなのだろう。
推測する力や推論する力の前には必ず、問いがある。
だからやっぱり、結局は問う力が1番大事なのだということ。
子どもは本来学ぶことが好きだ。学びは子どもの遊びの中にも生まれる。
2歳の子でも「さくらさんいないねぇー」と日常の変化に気付き、問うことができるのだから...
問う力をつけることは、子育てにおいても大切なことなのだと思う。5歳頃の知的好奇心爆発くらい、いろんなことを聞いてくるあの時期の対応が本当に大切なのだと思う。
推測の練習と思って、「あなたはどうしてだと思う?」と聞いてみよう。
正しい答えを教えるのではなく、まずはあなたは?どう予想する?というクセづけが大切なのだろう。
思い起こすと私は幼い頃から「問い魔」だった。いろんなことに関心があり、いつも母に尋ねていた。ここで母が「もお、面倒くさい」といっていたらきっと私は二度と問わない子になっていたのだろう。でも母は「あなたはどう思う?」といつも返してくれた。
そこから私の推測するクセが身に付いたのかもしれない。
今では1知ると10も推測してしまう私である。いい意味でも悪い意味でも。笑
旦那さんとの会話では、途中でこれから話すことがわかってしまい、最後まで聞いて!といつも叱られる。笑
問う力こそ読解力を高めるポイントになる。推測や推論を授業の中に取り入れてみることは大事なのだろう。