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自己紹介って必要…?

サブタイトル:子どもの本能イズビューティフル



僕はいま、色んなコミュニティに自分の身を置くことを大事にしている
(新型感染症により、現在は自粛している)


子ども達のコミュニティに新しく行くと、
僕の近くに寄ってきて、話しかけたり、手を触ってみたり、寄りかかってみたり、たたいてみたり、
何かと仕掛けてくる子がいる
(どのコミュニティにも、その瞬間に2人くらいいる感覚)

そしてそれを反射的に止めようとする大人もいるけれど(それはそれでその人の正義に則っているんだろうけど)

その子のそれらの行動って、

悪いこと?

良いこと?

そもそも何でするんだ?

ということを考えてみる



僕は初めましての人に会った時は、基本的に自己紹介をする
「○○大学 △△学部の☆☆です。部活は□□部に入っていました」




自分の子どもの頃はどうだったろうか


そんな形式的なものは必要なくて、
まあせいぜい名前を聞かれたら答えるくらいだった気がする
(僕も遊びの中でお互いを知っていこうというスタンスで子どもと関わっている)


あとは、
こいつどんなやつなんだ
という、『興味』から素直に行動するだけ

話しかけてみたり
ちょっと悪口言ってみたり
手を触ってみたり
たたいてみたり


その『興味』からの行動をするだけで、相手がどんな奴かわかっちゃう



そんでだいたいね、それをしてる時のその子を見ると、笑ってるんだよね

だから本人は全く悪気があってのことでは無いんだとおもう




やってるときは完全に『興味』でしかないんだけど、
結果としてどんな奴かわかっちゃう



その子は無意識のうちに、本能的に相手を知ろうと行動できちゃってたんだろうなーということがわかる





余計な固定概念のない子どもは、できることが本当に多い



余計な倫理観も固定概念もある今の僕には到底できないようなことも、
子どもは実際行動できちゃうんだ

そんなシーンをたくさん見てきた
(ある意味、余計な固定概念や倫理観に縛られないで、素直に行動できるのが子どもともいえるのかも、、、!)


「…本題に戻ろう!!!」

寄りかかったり、たたいたり、ちょっと悪口を言ってみたり
その子は何をおもって何でそれらの行動をするのか




それはつまり、



はじめての人に興味が湧いて、「この人どんな人だろう」「どこまでやったら怒るだろう」「おもしろい人かな」「力持ちかな」とか思って(=興味が湧いて)、
知らないその人の事を知るために、いろいろとその子なりのアクションをしたんだろうな

ということ

そして、


もしも僕がその子の、『その興味による行動』を半ば強制に遮ったときには、その子は
「自分の行動が悪かったんだ」と、もうそれはしなくなってしまうかもしれない。せっかくその子が自分なりに見つけた手段を奪ってしまうことに。そして大人から教わった形式的な、固定概念的な方を『正解』だと思うようになるかも



僕にできることは強制終了させることでも、叱ることでもなくて、
やっぱり目の前のその子や自分自身が「やりたい」と思ったことをお互い楽しみながら「やってみる」ことだと思うんだよね




初めての場所に行ったり、初めての子と関わる時に、「ああこの子は興味から探ってるな」と感じたら、
「第一印象ができあがるぅー」と思って、ありのままの自分で、取り繕わない素の自分で関わったらいいとおもう



強制終了は、だめだね



『興味から相手を探る行動』をそこまで考えずとも出来ちゃうのって、めちゃめちゃ美しい~と思っちゃった、
そんな「ただいま」と「おかえり」の色どきの今(←言いたかっただけだし使い方変)

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ぼくは学童やプレイパーク、ボランティア等で子ども達と関わっています。原体験がその人をつくると、『心アツくなる思い出が出来ちゃう』そんな関わりを大切にしてます。詳細はトップ記事をご覧ください 前置きが長くなってしまいました。頂いたサポートは活動の際の何かに使わせて頂きたいと思います