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それははたして、幸か不幸か
自分の本棚の発掘調査をしてみると、4年前の手帳が出てきた。
2016年と書かれた、紺色をした手帳。
昔からあまり長続きはしないタイプで、だからびっしりとその手帳に何かが書いてあるというわけではなかった。書いてあるとしてもたまに予定が書かれてる程度。その使い方は、今も変わらぬ。
手帳の余白や挟んであった紙に、色々と書いてある。あーでもない、こーでもない。自分のふと思ったことが書かれてある。書いてることに、少し驚く。
かつての僕が考えていたことは今考えていることとさほど変わらない。向いているベクトルはある程度昔から変わらなくて、僕はそのまま向いていたようだ。
でも、向きが変わっていないという、ただそれだけなのだ。
おそらく、人間の方向というのは大学生にもなればある程度決まっていて、それは余程のことがなければ変わらない。あとは進むかどうかという、それだけだ。
僕の場合は、ちっとも進んでいなかった。
今の僕が過去の僕を見て、そう思う。思うだけ思って、それだけ。それだけだから、それまで。何にも進んじゃいない。進んだつもりで、進んでいたとしても、数ミリとかそこらであろうか。
『決意』というものがいかに脆く、無意味に近いものであるかがよくわかる。
この発見をした僕は、明らかに行動を変えねばならない。戦略的に、何をしたいのか、何をすべきなのか。それらのことを頭に置いて、進まないければならない。
変えるべきは自分の意思ではなく、環境だ。意思なんてものは、昔から決まっていてそう簡単には変わらない。その方向に進むだけであって、進む努力を僕らはする必要がある。やるべきことを見極めて、やるべきことに期限を設け、不確実な先のことに確実なものを身につけていく。そうやって積み重ねて、不確実の渦に挑んでいく。
それが僕に足りなかった。
4年も経って、ようやく気がついたのか。
それははたして、幸か不幸か。
2020.4.19
おけいこさん