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口から言葉が出てこないので、書くことにした
30代半ばにして、口が退化
はじめまして。万年あぶれ人と申します。
大阪に生まれ、25歳のときに上京。今年で36歳になりました。
まあまあいい大人になってから突如としてnoteを始めたわけですが、なぜかとういうと、喋ることができなくなったからです。
どういうこと? と思いますよね。
病気になった訳でも、体から口が突如として消えたわけでもありません。
人と会っても口からうまく言葉が出てこず、会話ができなくなってしまったのです。
ここ2~3年で(仕事以外で)人と会うことが減りに減り、雑談をする機会が失われていきました。その結果、
「こいつの日常生活において"喋る"という機能は必要ないのではないか?」
と体が認識してしまったのかもしれません。
大阪人なのに喋れないなんて。
もう大阪には帰れないかもしれない。
「大阪人です」なんて、口が裂けても言えない。
在京10年で培った標準語武装で、東京人の仮面をかぶってこの危機を乗り切らなければ。
年末にだけ会う地元の友だちからは、会うたびに
「口なくなった? 声失った? あんたの話、何にも聞こえへん」
と言われます。
喋る力だけでなく、声帯や口の筋肉も確実に衰えている。
どうしてこんなことに……。
そんな不安や焦りと同時に、私のアイデンティティも失われたような虚しさを覚えました。
「喋る」を取り戻すためのリハビリ
口の退化を実感しはじめたのはここ半年ほどです。
久しぶりに会った友だちとの会話なのに、頻繁に訪れる沈黙。
困ったような表情を見せる友だち。
人に会うたびに、「楽しい時間にできなくてごめん」と心の中でサイレント土下座をする日々。
ただでさえ、世間からはみ出してきたのに、残された貴重なコミュニティからもこうしてあぶれていくのかと、頭を抱えました。
その頃、ふと思い出したの10代の頃に習っていたピアノの先生に言われた言葉です。
「指を1日動かさなければ技術は3日分後退する。だから、短くてもいいから毎日ピアノを弾きなさい」
これは会話においても同様でした。
それなら友だちとたくさん会って、たくさん話せばいいだけの話。
そうですよね、そう、そうなんです。
でも、いろいろな事情でそれがむずかしい(理由は、以降更新する記事を読んでいただければお察しいただけるかと思います)。
いきなり友だちを誘いまくって、突拍子もない、なんの脈絡もない質問を浴びせるなんて、マナー警察や倫理ポリスの皆さまにしょっぴかれてしまう。
だからまずは、ここで日記を書くことで、体の中から言葉を出す、脳から言葉を生み出すリハビリをしよう。そう思って、いまこの文章を書いています。
私的な日記としての更新
私は名前の通り、プロあぶれ市民です。
よく掛けられる言葉は「なんか変わってるよね」。
どこのコミュニティにも所属できず、付き合う友だちはごく少数。大人数の集会に投げ込まれると、マッチ棒のようにその場に立ち尽くしてしまうような人間です。元来話上手でもありません。
ここでは、あぶれる人とそうでない人の間にあるものや、私が日々抱える違和感、疑問、家族のことなどをテーマに、アウトプットのリハビリをしたいと思っています。
だから誰の目にも留まらなくてもかまいません。
でも、もし「私も世間からのあぶれ人である」とか「生きることへの違和感がすごい」という人がたまたま私の記事を目にして「わかるわ~」と思ってもらえたら、これ以上幸せなことはありません。