1933
2023年2月10日
私の、おばあちゃんの誕生日。
私もおばあちゃんと同じように長生きしたい!!!
まだまだおばあちゃんが死んでは私は困る。
元気に生きていてほしいと願うばかり。
20歳になったころ、初めて母に事実を告げられた。
ある日突然、それは休みの日のご飯を食べているとき。
私の向かい側に母は座っていた。
と、急に。しかもさらっと告げられた。
考えたことのない言葉を唐突に母は放った。
私はもちろん、返す言葉はすぐに見つからなかった。
でも聞いた。
私は頭が真っ白になったし、5歳児の子供のようだった。
誰がこの場に直面しても、こうなるだろう。
私には兄がいる、兄たちは知っているのか。
なんで私はこれまでそれを知れなかったのか。
知ってはいけなかったのか。
母はすらすらと事情を説明した。
私は、悲しくなった。
まぎれもない事実となったことが悲しかった。
けど、悲しさをかき消すほど、「 だからなんだ 」 とも思った。
知らなくてもいい事実だったのかとも思った。
今考えると、母は私が20歳を迎えたときに言ったのは
世間体の、大人である年齢を迎えたからだと思う。
おばあちゃんは、私とは血のつながりがない。
これも事実だが、その前に来る事実は
” 私の母 ” は、
お母さんと呼べる人との血のつながりがない。
お父さんと呼べる人とも血のつながりがない。
ただそれだけで、まぎれもなく母であり、父である。
母が育った環境は、そこである。
また、私が生まれた時から近くにいた年配夫婦は、
これからもずっと” 私のおじいちゃんとおばあちゃん ”である。
私は、おじいちゃんとおばあちゃんがだいすき。
2世帯住宅で隣に住んでいて、
小学校の頃は毎日のようにおばあちゃんの家にご飯を食べに行く。
3人で食卓を囲んだ。
おばあちゃんちで、お泊りもした。(寝るだけで汗をかく日を除いて)
私は夏はエアコンがないと寝れない。
夏休みにおばあちゃんちで寝ると、よく蚊に刺された。
おじいちゃんの母が亡くなった日と同じ日に。
おじいちゃんは、おばあちゃんのそばからいなくなった。
おばあちゃんは今家に一人で暮らす。
私は、実家を離れてしまい ” おばあちゃん ”とのつながりは
2.3か月に1回の手紙でのやりとりだけ。
これからもおばあちゃんと手紙を続ける。
おばあちゃんの生きる楽しみの一つになるのであれば、私は続ける。