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【ストレンジ・ワールド】違いを認め合うということ
ポリコレやLGBTで批判されがちな本作だが、自分は結構好きだ。
久しぶりに観返したので、感想を書いてみたいと思う。
「違い」を認め合えるかで評価が変わる
この作品は、ずっと「違い」がテーマとして描かれる。
特に最初のシーンが顕著で、
イェーガーとサーチャーの意見のすれ違い
サーチャーとメリディアンの夫婦感での人種の違い
イーサンとディアゾの性的マイノリティー
その他にも所々で「違い」を感じるシーンが多い。
おそらくこれが評価を落としている最大の要因だろう。
違和感が気になりすぎて、物語に集中できなくなってしまう。
だが、ポリコレやLGBTの要素は、この映画には絶対に必要な要素だ。
それは、本作のテーマが「違いを認め合うこと」だからに他ならない。
「違い」を認め合える人と認め合えない人
作中で、違いを認め合えているグループはとても幸せそうだ。
メリディアンは人種で人を差別しないし、サーチャーの友達は性的マイノリティーに口を挟まない。
イーサンとスプラットだってそうだ。彼らは外見という違いを超えて仲間となり、ついにはアバロニアを救った。
一方、違いを認め合えていないグループは困難や障害に多くぶつかる。
最も分かりやすいのがイェーガーとサーチャーだろう。
この親子は事あるごとに反目し合う。その対立はサーチャーとイーサンの不和をも引き起こし、大喧嘩へと発展する。
その時イーサンがサーチャーへ言ったセリフが、本作でディズニーが観客に伝えたい事なのだろう。
「父さんみたいになりたくないのは分かる!」
ラストシーンに隠された「罠」
人は誰でもなりたい自分がある。
人と違うからといって非難してはいけないし、非難されるべきでもない。
自分と他人は違うことを認めることが、成功に近づく第一歩だ。
お互いが違いを認めることで世界を救った、イェーガー・サーチャー・イーサンのように。
そう感じた観客に一つ、大きな罠が待ち受けている。
ラストシーンでイーサンとディアゾが結ばれるシーンだ。
ここでイーサンとディアゾを祝福できないなら、本作のメッセージを受け取れていない。
「違い」を認める事こそが、本作が最も伝えたいメッセージだからだ。