死に方を考えよう。
死に方を考えよう。
できるだけ派手に、なるだけ迷惑をかけるものを。
つまり大きなニュースになる死に方だ。
文字で状況を聞いただけで鳥肌が立つような残酷な死に方が望ましい。
月並みだが鉄道自殺はどうだろうか。
月曜日の通勤ラッシュ時に行えば多くの人に影響を与える事は明白であるし、死体は走行する電車に切り刻まれてさぞや惨たらしい事になるだろう。
ただ、ありふれすぎている。
その時は「勘弁してくれよ…」とだけ思って、会社に遅延の連絡をしてそれでおしまいだ。
それか無差別殺人を行って列車ごと火に包まれてしまおうか。
大きなニュースになる事だろう。
巻き込まれた人は可哀想だが、仕方ない事だ。
これは現実的に考えた場合不可能に近いのではないだろうか。
一車両丸々燃やすくらいの事はできそうだが、全体に火が回る前に消し止められてしまいそうだ。
それに放火で死ぬのは青葉真司の事件を見てもわかるように難しいだろう。
自分をよく知る人達の前で飛び降り自殺をしよう。
自殺の名所まで行ってみようか。
大通りで自分に火を付けてみようか。
新幹線に飛び込むのはインパクトありそうだがどうだろうか。
無理だ。
私が死んだところでそんなものは一過性のエンタメとして消費されて終わりだ。
悲しむ家族も友人もいない。
死んでも意味はない。
だからといって生きていても意味がない。
存在していないのと同じだ。
なら私に義務を課さないで欲しい。
私を見ないで欲しい。