「家族じゃない」と言う家族

「自分の理想」を押し通す父


私の父は自分の思う通りにならない事があるとよく不機嫌になった。

例えば自分が車を買いたいからとディーラーに家族で向かったりした時、母と私の要望は聞き入れないのにどんな車にしたいか聞いてくる。

それにあれこれ理由をつけて自分の乗りたい車を選ぶ。

そんなだから二人共父だけで車を見に行けばいいと思っていたが、それを言うと不機嫌になる。

何故か家族全員でどうでもいい車のスペックの話を聞かされる。
もちろん子供の自分には退屈だった。
それを表に出すとまた、不機嫌になる。

いきなり休日の早朝、というより深夜に叩き起こされ釣りに行かされた。
半分眠った状態でどこかの釣り堀に連れて行かれ、泣きながら釣りをさせられた。

ペットを飼おう、と唐突に言い出した事もあった。

それだけは私が動物好きだったのもあり大賛成だったので私も乗り気になって様々な本を読んでこういう犬種なら初めてでも飼いやすいとか、つけるならこんな名前がいいだとか言っていたがもちろん父が聞き入れることはなかった。

結局散々家族を連れ回して意見を述べるのも疲れてきた頃に、父は独断で犬を選び、自分の考えた名前をつけ、飼育としつけは母と私に押し付けた。

何故か犬を飼うのも初めてのくせに成犬になるまでペットショップにいた犬を選び、家族は無駄吠えに悩まされる事になりました。

ちなみに犬の犬種はキャバリアといってゴリゴリの室内犬であり、本来余り外で運動しない犬種だった(私がそれを言うと「知識をひけらかすな!」と怒られた)のですが無理矢理運動させようとして父はバイクに犬を繋いで散歩していました。

あの頃は感覚が麻痺してなんとも言えませんでしたが、普通に動物虐待でした。

そしてその犬は離婚に伴い別の家族に引き取られた。

要は何か「自分のやりたいこと」があり、家族はそれを同じように喜んでやるべきだ、異論は認めない。という性質の人間だった。

家族は、妻は、子供は父の所有物。 

私がそんな無理矢理にでも自分のしたい事をさせる父に対してその頃は語彙も無く反論できる様な頭も無かったが、とにかく嫌でその感情を表に出すためにただ泣き喚いた。

そうすると父はよくこう言った。

「周りの人はちゃんとしてるのに〇〇はおかしいよ」

〇〇は一人だけおかしいねぇと笑った。

シンプルにこれはやりたくない、と言うとこういっていた。

「俺がこんなにしてやってるのに!」

“自分のやりたいこと”が“家族のやりたいこと”にすり替わっていて、それに無理矢理付き合わされているんだと言わんばかりだった。

今になって考えると恐らく父には「理想の家族」像があったのだろう。
そしてそれに当てはまらない部分を許さなかった。

出来が悪く醜い妻、それでも寛容な夫。

一軒家に、犬一匹。
休日は子どもと公園に散歩やボール遊び。

子供は親に似るようで、親の趣味に瞳を輝かせながら付き合ってくれる。

それが理想、それをしない家族はいらない。

こんな内から見れば欠陥だらけの家庭だったにも関わらず、外面上を取り繕う事が出来ていたようで会社の同僚からすれば「良き父、夫」のようだった。

おい、笑える。

定期的に家族じゃなくなる


「こんな子はもう家族じゃないから」
とも父は良く言った。

印象的だった事件が一つある。
それは私が父と二人でショッピングモールに行った時の話。

モールの駄菓子屋さん前に備え付けられた機械とじゃんけんをして、当たると景品が貰える機械。

私はその景品にあったゲームソフトが欲しくて、自分のお年玉を使って挑戦した。
2回程失敗したあと父は苛立ってこんなのは当たらないからもう行こうと言った。

それでも、と私が泣きの一回をすると父は完全に不機嫌になり、それを察して私はやめた。

今だから言えることだが、じゃんけんの機械位でしかも私がお年玉として貰ったお金を使った位でどうこう言うのならお前のパチンコやら駐車違反の罰金やら母のバイト代や私の学費の為に積み立てたお金を注ぎ込んでホリエモンに投資したお金はなんなんだ。

クソが。

ともかく不機嫌は不機嫌なのだが外面を気にする父は誰もいない駐車場に私を連れていき、そこで私を叱り始めた。

「そんなに言うことを聞かない子はもううちの家族じゃない!」

そう言って私の服を引っ張った。

「この服も、このバックもゲーム機も、俺の稼いだ金で買ってやってるんだろうが!!」

うちの子じゃないから、と私の持ち物を取り上げた。
服位は許してやる、とりあえず家に着くまでは家族でいてやるからそれからは自分で考えて下さい、といきなり敬語になる父。

私は冷静に
「子供一人で就ける仕事はあるのかな、どこに住もうかな」
なんて呑気に考えていた。

そして家に着くまでは他人行儀に
「あなたはもう他人の子供ですから」
といったスタンスを貫く父。

母や他の親戚の元に着くと今までの事は無かったかのように普段通りに戻っていった。

「友達と離れたくない」は過ぎた願い

うちは転勤族だった。
東京から大阪、名古屋、そして今の地方に、と各地を転々としていた。

それゆえ長い付き合いの友達はいなかった。
どんなに仲良くなってもいつか離れるのだろうと薄っすら思うようになっていた。

それでも仲良くなる友達はできてしまう。
そしていつも転勤を告げられた車の中で寝たふりをしながら泣いていた。

そして小学5年生位の時、また転勤が決まった。
今度は親戚から譲り受けた土地に一軒家を建て、本格的にそこに腰を据えようという事だった。

その為に例の如く住宅展示場に連れ回される私達。
もちろん父の意見以外は聞き入れられない。

フラストレーションが溜まっていく。

私は父に隠れて母に愚痴った。
「もう転勤したくない。友達と離れたくない。」

それを偶然聞いていた父は激怒し、往来で持っていたパンフレットを地面に叩きつけた。
「俺はこんなにしてやってるのに!!」

「もうお前なんか家族じゃない!!あそこのホームレスの子になれ!!!」

それ以降の記憶は曖昧で、母にハンガーを投げつけられながら「家族を返せ!」と言われた事や持てるものだけ持って近所のアパートに引っ越した事などを断片的に覚えているのみだ。

離婚が決まって、母と二人で家を出ていく日の前日。
飼っている犬も引取先が決まり、この家にいる最後の日だった。

そもそも犬種が室内犬なので外に繋いでいたことがおかしいのだが、父は普段は外に繋いで邪険に扱っていた犬を家に上げて一緒に寝て、最後のお別れ(笑)を楽しんでいたらしい。

お前は何もしていなかった癖に。

そして私達も玄関口で最後の挨拶をする。
そうなった時、父は初めて泣きながら土下座をして謝った。

「お前たちをこんなに傷つけている事を知らなかった」

そういって当時私が欲しがっていたWii を差し出した。

もはや私は何も感情が動くことは無かった。

ただ「既婚者で子供がいる」というステータスを失いたくないが為の謝罪なのだと受け取った。

そもそもあんたから家族じゃないと言ったんだ。

名実ともに家族じゃなくなったのだから万々歳じゃないか。

そんなふうに言ってやる気も失せてただただ呆れた。

父は頭を撫でようと手を伸ばしてきた。

私はそれを振り払うと、振り返らずに去った。

今でもあんな気持ち悪い奴の血が流れていると思うと反吐が出る。

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