「死んでやる」と言う幼稚園時代
私は何かあると
「みんな私のことが嫌いなんだ!死んでやる!」
という子供だった。
今それを考えると恐らく
“見捨てないで”
“愛して欲しい”
という感情の発露だったかのように思える。
子供時代の記憶なんてものは酷く曖昧なものだが、一つ喜ばしくも苦々しい思い出がある。
私の描いた絵が、何かしらの賞をとったのだ。
園長先生が私の絵をいたく気に入っていてくれたので、私の知らぬ間に市のやっている賞に推薦してくれていたのだ。
私はその中の元総理大臣の誰かの賞を取った。
ただ私はその事に関してはあまり覚えていない。
それよりも母に怒られたとき暫く
「こんな賞いらないね」
「そんな子ならこの賞状も返しちゃうよ」
と怒るだしに使われたことしか覚えていない。
そんなふうに怒られ続けるのには私にも原因はあった。
私は今もあまり変わってはいないのだが忘れ物を良くするし、男の子と殴り合いの喧嘩をするのは日常茶飯事で、毎日のように園からの電話がなっていた。
その後は母から怒鳴られ、叩かれる。
「殴った私の手も痛いんだぞ!」
と言われる。
一度トイレに逃げ込んだが、鍵をこじ開けられた。
私は異常な子供だった。
些細な事で同園生と喧嘩になり、持っていたハサミでブラウスを切り刻んだ。
その時は強く母から殴られた。
先生に叱られた時、ピアノの下に逃げ込みながら
「いつか大人になったら先生を殺してやる」
と言っていたそうだ。
そんな子供だったので園から発達障害を疑われ、市の施設に連れて行かれた事がある。
もちろん当時は何の場所なのかもわからなかったが母が女性と話している間、私は別室で男性の職員と遊ばされていたのを覚えている。
職員さんは今までの大人の中で一番一緒にいて心地よかったのを覚えている。
野球のわからない私に対して何故か野球盤を持ち出した事だけは謎だったが。
そしてその野球盤で遊んでいる最中、何度も消える魔球を使ってくる時間があった。
ようはどうあっても打てない玉だ。
当時はなんでいきなりそんな意地悪をするのだろうとは思っていたが、今思い返すとあれは理不尽な状況に対して癇癪を起こすかどうかテストされていたのでは無いかと思った。
それはどうかわからないがその施設に通い続けた結果、私は発達障害ではないと判断されたらしい。
これが私の幼稚園時代の思い出だ。