帰る場所
人は帰る場所があるといつでも頑張れるのだと思う。一人暮らしの私にとって帰る場所は実家だと年を重ねていくごとに思いは大きくなる。
築65年の古い家の奥の間の仏壇の上には祖父、祖母、父の写真が飾られている。帰省するたびに神戸での生活を報告している。私の話に写真の父は表情は変わり、時々に戒めたり微笑んだり少し悲しそうだったりする。父の写真と会話をする時間は父とつながっていると実感できる時間である。
家を出て40年以上が経って、実家の周辺も変わってきた。上の家のおばちゃんは息子さんの家にいったし、お隣の小さかった坊やは実家の農業を継いで今は立派な大人にと成長している。斜め上の家は都会から移住してこられた方が住んでいる。ご近所さんともめごとが絶えなかった下の家のおばちゃんは亡くなられた。
2件下は親戚の家で、帰省するたびにおじちゃんとおばちゃんの顔を見に伺っている。
「帰ってきたね。おかえり。」とご近所さんはみんな笑顔で言ってくれると、私の心はあたたかくなるし落ち着く。これって、自分の根がここにあるからだろう。神戸の喧噪の中で生活をして、実家で心の栄養補給をするといった生活を7年間続けていけているのはとても幸せなことなのだろうと思う。
人は帰る場所があれば心は安寧でいられるしくらしに前向きでいられる。だから、実家の家守りは実は自分のためなのだ。