ココアピクルス追悼記 #22〜25
はじめに
コロナウイルスというのは本当に強敵で、その性格はまさに人間の豊かさそのものを抉るようなものに思えます。
人間の豊かさとは、人が対面する所から始まるのだと僕はずっと思ってきました。
奇しくも、そして苦しくも、今回のコロナウイルスの一件でその考えが深まってしまったなと思っています。人に会わせて欲しい。
記事の表紙として設定した画像は「ニョイスミレ」という花です。
ここまでの流れから花言葉とかに持っていくような雰囲気ですが、特になんの花でもありません。ただの野草ですね。キレイっしょ?
そうなんですよねー。
吹っ切れられたらいいんです。
こんな時期だからこそ出来ることがある!と、吹っ切れられたらいいんです。
でもできない。どうすりゃいいんや。
えぇちょっとマジで聞いて欲しいんですけどこの太文字書いてるの3回目なんですけど下書きが削除されたんですけどなんなんですかnote.com
と思いながらこれ以降の記事の一部は書くのが3回目になりますので文体が少々荒くなっておりますクソ喰らえですね
今回はこちらぁ!!!
いや、今回はこちららぁぁ!!!(複数形)
1.監獄のお姫様
「監獄のお姫様」
宮藤官九郎
まず1つ目。
この書き出しも3回目です。同じ文章を3回以上書いたことがある人だけがこの先を読んでいいです。それ以外は1度note.comに下書きを削除されてから来い。
冗談ですよほら読んでくださいよほら。
母親がクドカンの大ファンなんです。なので無理矢理見せられたに等しい作品です。
だったら面白くないじゃねぇか?この野郎!と?
面白いんですよ当たり前じゃないですか面白くない作品を見るわけないじゃないですか笑笑
でも個人的にはクドカンは「ごめんね青春」が1番だと思ってます。朝ドラは分割されまくってるせいで自分を見失うので「あまちゃん」は除外しますが皆さんはどう思いますか?(唐突な問題提起)
「監獄のお姫様」は復讐おばさんギャグストーリーです。それ以上でもそれ以下でもありません。というのは嘘です。大体それ以上でもそれ以下でも無いって言葉が意味不明ですよねfuck。
おばさんギャグストーリーなので、実は僕の世代には合ってません。ただただ母親が大爆笑し、その横で僕が無表情というシーンが我が家では何度も見られました。
いわゆる内輪ネタというものですね。クドカンはそういうの得意です。
でも、これ逆に捉えれば、「知識は笑いに繋がる」ってことですよね?
その世代に流行っていたアイドル、曲、言葉を知っていれば、それだけで自分の人生に笑いがもたらされるかもしれない。
これは教養とも言い換えられますね。偉い人が勉強をするのは、そのためでは無いでしょうか?
というふうに言いくるめるのが教員という職業かもしれないと最近僕は思っています。
人が何を言うかではなく、何を人が言うか。
何を言ったかではなく、どのように言ったか。
本質というのは、その言葉の意味に反して案外流動的なのかもしれません。
ってなんの話しじゃーい
つまり、満島ひかりはすごいということでした。
「監獄のお姫様」編、完!
2.キャスト・アウェイ
「キャスト・アウェイ」
2000
ヒューマンドラマ
2本目は映画です。
この作品初の禁じ手である、レビューの閲覧をついにやってしまいました。それはもう沢山見ました。やるならやってしまおうと、Amazonプライムビデオ、Yahoo映画、映画.com、アメブロといったあらゆるレビューサイトを拝見しました。我ながら漢ですね。
ところで皆さんはどんな時にレビューを見ますか?めちゃくちゃ面白かった時?それとも考察が難しい時?僕はつまらなかった時ですね!
いえ決してつまらなくはないんです。ただ、見た後に何も残らなかったんです。
残らない。それにしても残らなすぎる。
2時間も費やしたのに?疲れているのか?慣れない朝のバイトに早起きをするようになってから私は疲れているのか?
そう思ってレビューサイトを開くと
「人生の本質とはなにか(★5)」
異常なほど深みのあるタイトル!!!そして最高評価!!!!
これはヤバイ。私の解釈力のなさが際立って仕方がない。
と、思い。筆をとった次第です。
そろそろ落ち着いてあらすじを話すと、簡単に言って無人島でサバイバル生活をし、4年後に生還する話です。
特別過剰な演出もなく、また漂流中に起こる出来事もなく、ただリアルなサバイバル生活が描かれるんですよ。でもそのリアルさは丁寧に描かれたもので、孤独を紛らわせるためにバレーボールに顔を描き話し始めるといったシーンは非常に刺さります。
無人島から生還後は、なんと心の支えにしていた妻が再婚していたことを知らされ、その彼の複雑な思いを描写した映画になります。
主人公のセリフとして語られることは少ないですが、生還後も孤独を感じさせるようなカットが多かったように見受けられます。
この後色々あって終幕となりますが、読んでいただいてわかるように、なんというか、「わびさび」みたいな映画なんですよね。
きっと大人になったらわかるのかなあと。という事で今はわからない部門に入賞ですおめでとう「キャスト・アウェイ」
ところで、私の心を乱した高評価のレビュー達ですが、その内容を見てみると驚くほどに解釈が分かれておりました。
表向きは全員「高評価」なのに、その中身はお互い真反対の部分を評価しています。
「この映画はすごい!最後まで主人公の孤独を表現している!」という意見もあれば、「この映画はすごい!最後に主人公が孤独から解放されたことを表している!」という意見もある。
どちらのレビューも造詣が深く、納得できるレビューです。そしてどちらにも、「この映画の良さを分からない人は残念だ」ということが書かれていました。
なんかそれを見たら笑えてきました。
だって結局どっちの意見も納得できるってことはどっちも正解なわけですよ。ってことは、「ちょっとこの映画わかんない」って意見も正解でいいんじゃねって思っちゃったんですよね。
じゃあ堂々とわかんないと言ってやろうと、そういうことを思いました。
うんち!
3.無差別(2017)
「無差別」
柿喰う客
2017
2までがリセットされた記事だったので、ここからは初見じゃい!ってことでそろそろ疲れてきましたが全速力でぶっぱなしましょう。
個人的に一番好きな演劇作品の中の5本指に入る「無差別」の2017年版です。柿喰う客そのものによるリバイバル作品で、全員女キャストで演じられます。
正直な感想。
おもしろい…!面白いんだけど原作のほうがやっぱり面白い…!!!
なんで全員女性にしたんでしょう?その意味は?
女性特有のしなやかさで圧倒している部分はあった。あったが、それよりなにより主人公の狗吉が男の設定なのに女性であるという「嘘」がどうしても私の心を貫けなかった。貫けなかったら仕方がない。
また例えば他に、女性の声にはどこか安心感があり、登場人物に柔らかみが増すと僕は個人的に思う。でも、果たして「無差別」に柔らかさは必要なのか?と思ってしまう。どちらかというと期待するのはすり減ったような荒い声。そういう汚い部分も思いっきり表現してほしいと思うのです。
一方で
この演劇の一つのテーマは「舞」だと思っているのですが、その一点においては、「キャストが女性であること」が非常にうまく機能していました。
先にあげた「しなやかさ」や「佇まい」というものが「舞の美しさ」を強調しているように思えます。
生きるとは舞うということ、そして舞とは美しいものというメッセージを直観的に伝えるには全員が女性というキャスティングは納得できます。
しかし
やはり無差別が伝えるものとしては、舞うという事は単純な美しさだけではないという事だと思います。
汚い、粗い、荒い、醜い、けど美しい
こういうことを伝えてほしいと思っているのです。
それを伝えるには、綺麗な女優さんで7人固めるのは少々勿体無いのかも?と思ってしまいました。
いや、逆にそれが逆説的だから面白いのか?
でも僕「みにくいアヒルの子」が好きなんですよ。だから無差別も好きだし、美少年も好きです。
柿喰う客には「みにくいアヒルの子」でいてほしい~~~~~~
4.JIN-仁-
「JIN-仁-」
TBS
2009〜2011
4作品目、言わずと知れた名作「JIN-仁-」
漫画版も含めて3度目の鑑賞になりますが、悲しいかな適度に記憶が飛んでいまして、3回とも楽しませていただいております。恐縮です。
しかし令和の時代ともなると、綾瀬はるかはモノマネをされ、仁のテーマ曲はほぼフリー音源と化し、様々なTVや動画で「JIN-仁-」むしろネタとされつくしたコンテンツになってしまいました。
この影響は恐ろしいことに、シリアスシーンで爆笑してしまうというあってはならない状況を巻き起こします。
襲い来るシリアスシーン、間髪入れずドアップになる綾瀬はるか、言い尽くされたモノマネのセリフ、そしてとどめに「てれれれーれーれーれーれれれーー♪」の壮大なテーマ曲…
笑 わ な い 方 が 難 し い
真剣にやればやるほど笑えてくるんですよね。なんでしょうねアレなんとなくわかりますよね?やめてくれ本当に。
とは言いますが、
めっっっっっちゃくちゃ面白かった!!!
ということでここからは愛をもって「JIN-仁-」について語っていきます。これまでの記事がだいぶ冗長な気がしますが、長くなるぜ!覚悟しときな!
いや長ぇよ流石に!!!!!
次回、鋭意作成中…