かなしみ を こらえる
気になった言葉
新美南吉「でんでんむしの かなしみ」より。
「かなしみは、だれでも もって いるのだ。
わたしばかりでは ないのだ。
わたしは、わたしの かなしみを、
こらえて いかなきゃ ならない。」
新美南吉さんは幼年童話も書かれています。
幼年童話は「ひらがな」だけで書かれています。
さて、今回ご紹介した言葉の前半。
そうですね。大なり小なり、みんな「かなしい」って感じることはあるよね?自分だけが「かなしい」わけじゃないんだよね。
後半の「わたしは、わたしの かなしみを、
こらえて いかなきゃ ならない。」
ここね、半分そう思うし、半分そう思わないし、
とっても複雑な思いを抱いているの。
どうしても超えていかないといけない「かなしみ」ってある。
大切な人やペットとの別れとかね。
失恋とかね。
受験とか病気とか思うようにいかないこととかね。
人間関係で悩んだときとかね。
一つ一つ並べていたらキリがないけれど、いろんなかなしみと出会ってしまい、それを超えていかないといけないんだよね。
でもね、「こらえて」いかないといけないのかな?
ここね、「こええる」の意味をどう捉えるかによって解釈が変わるんだよね。
こらえる=がまんする
こらえる=抑えこんで外に出さない
大きくこんな2つのイメージがあるよね。
たしかに我慢しないといけない場面は多いかもしれないけれど、抑えこんで外に出さないことが良いこととは限らない。
「苦しいの、助けて。」
そう言って自分の気持ちを吐き出して楽になることもあるし。
苦しい、助けて、に応援してくれる人と出会うこともあるし。
決して抱え込んでしまうことが良いことではないと思うんだよね。
実は私、高校1年生の秋から約35年間親の看病をしていてね。
23年間闘病して亡くなった母を看取った後、2年間まったく笑えなかったの。母の日や母の誕生日には泣いてたし、同年代の親子連れを見たら苦しかったの。でも誰にも言えなくて我慢する意味でも、抑え込んで外に出さない意味でも「こらえて」いたの。それが良かったのかな?とっても疑問。
母の看病の途中から父が持病を抱えたため、今も父の看病をしているの。
約6年前、父の余命が1年弱と宣告をされた時ね、ちょうど私の看病生活約30年くらいだったんだ。その頃、他にもいろんな大きな問題が重なっていて、自分の心身に限界が来たのね。このままだと自分が潰れちゃうって思ってた。それをね、SNSの友人に思い切って発信したの。もちろん去っていった友人知人もいたけれど、支えてくれた、助けてくれた友人知人もいたの。それで私は復活できたの。
だからね、かなしいことがあった時、1人で抑え込んでしまわず、誰かに頼ってもいいと思うんだよ。いや、誰かに頼ろうね。そして泣きたいときは思いっきり泣けばいいと思うんだ。自分を守ってあげてまた元気になろうね。いつかまた素敵な笑顔になろうね。
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