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ひながたの道を通れば後々どうなるのか? 〜明治二十二年十一月七日刻限御話を元に〜


ひながたの道を通れば、後々どうなるのか。

結論から言うと、
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落ちようと思っても、難儀不自由しようと思っても、することができない、結構な道にお連れ通りただける。
また、貴方、貴方と人に仰がれるようになる。金など箒で掃き寄せるくらい集まってくる。
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具体的に、おさしづ本文を4つ抜粋して、紹介していきます。

少し長いが、特に最後の方が面白いので、是非読んでいただきたい。

解釈本は、次の本を引用している。
(山本久二夫、中島秀夫『おさしづ研究(上)』 196~205頁引用)


「世界には何を言うやら大工がと。日本一の大工や。何言うて居るやらと皆笑うて居た。十のものなら八つという。後二分の処放って了うは八分という。難しい。後二分というたら僅かや。まあ何年居てくれたら、内も結構や。なれどもどうも半端である。十年の間、八年の間の苦労は容易やない。なれども、まあ後二年は何でもない。八方明けたら明らかや。もう僅か、まあ三日の辛抱さえ仕遂げたら、誰に遠慮は無い。皆貴方々々と言う。」

解釈

本席の生涯を見るがよい。世間では「大工が何を言うやら」とか「日本一の大工やというが何を言つているやら」と、みんなで笑つていたのである。しかし一途に、真実をもつて通つたからこそ本席にも定められたわけで、こうした事実を、よく思案しなければなるまい。たとえば、十のものなら八つという、あと二分のところで道を放つてしまえば、たしかに八分だけ通ったことにはなるが、それでは決して充分ではないし完全ではない。これまで通つた八分の道も、それでは意味がなくなつてしまう。ここがむずかしいのである。のこつたあとの二分の通り方がむずかしいのである。あと二分と言えば、わずかなことである。けれども、もう何年か教祖についてきていたなら、内々とも「結構やなあ」と言えるようになるのに、あと二分というところで放つてしまうのは中途半端であつて、充分の理にはならないのである。十年間とすれば、八年の間の苦労は、なかなか容易なものではない。しかし八年通れば、もうあとの二年は、それにくらべれば何でもないことなのである。そこで、この二年を通りきりさえしたならば、充分の理となり、八方あけて明らかな道が見えてくるのである。もうわずか、いわば最後の三日、すなわち十のものなら、最後の二分を通りきるしんぼうをしとげたら、誰に遠慮気がねもなく、みんなに「貴方々々」と仰がれるようになるのである。




2、

「ひながたの道を通れば、僅か年限の間に、何と分からなんだなあ。前々は我が俺がと言うて居たなれども、どうもあんな者とも知らなんだと、世界から言うのは、まあたった三日の間や。」


解釈

「なんとわからないものだなあ、昔は、おまえが、おれがと言い合つていた間柄なのに、どうも、あんなえらいものになるとは知らなかつた」と、みんなから言われるようになる 


→ のちに本席となられた、飯降伊蔵先生のことを指している。

おさしづにもあるように、飯降伊蔵先生は、周囲の人から気軽に扱われておられたとのこと。

そんな方が本席にまでなられるのも、教祖ひながた、その教えを固く守って通られたからである。


3、

「三年辛抱すれば、落ちようと思うても落ちられん。」


解釈

わずか三年の間のつとめを全うしさえすれば、どんなことがあつても落ちるに落ちられないようになる


4、

「三年の道通れば、不自由しようにも、難儀しようにもしられやせん。」


解釈

三年の道をしつかりと通るならば、不自由しようにもせられず、難儀しようにも、することのできない結構な道を見ることができる



三年千日、教祖のひながたを辿るならどうなるか。
落ちようと思っても、難儀不自由しようと思っても、することができない、結構な道にお連れ通りただける。
また、貴方、貴方と人に仰がれるようになる。




他にもお金に関して、面白い話があるので紹介する。

教祖は「しまいには、金はほうけ(箒)ではき寄せるくらい集まってくる。外国から、わし一人でも、こんなくらいはさしてもらうと言うてくる。金などはなんとも思うのやないで。いまの苦労をたのしんで通りや」とおっしゃった。ぼちぼちそうなって来るがな。

高井猶久『教祖より聞きし話・高井猶吉』 8~9頁


おやさま曰く

金の心配など、何とも思うな。
金など箒で掃き寄せるくらい集まる。
だから、今の苦労を楽しんで通りなさい。

とのこと。

驚くことは、これが実際に現実となって現れてきていることだ。


教祖二十年祭が執行された当時の親里の様子を、「大阪毎日新聞」(明治34年2月19日号)は、次のように伝えている。

(前略)この門内へはいって来る参詣の信徒がことごとく仮神殿の前へ進んでバラバラと賽銭を投げる。その賽銭が畳十畳ばかりの上へ山の如くに積まれてあるのに驚かれる。絵でばかり見る宝の山とはこれであろう。銀銅貨が混合して大きな牛が横に寝そべったほどの高さがある。覆面をしている四五名の男は、なおうしろから投げこむ金をほうきのようなもので掃き寄せている。はくほどに金子があるという諺は大和天理教会で始めて実現されている。

天理教道友社『教祖年祭』25頁



このように、教祖が仰ったことは、ほんとに実現している。

三年千日、教祖ひながたを辿ることで、落ちるに落ちられない、難儀不自由するにもできない結構な道を見せていただける。

また、人から貴方、貴方と皆んなから仰ぎみられるようになる。

お金も箒で掃き寄せるくらい集まってくるとのこと。

逸話篇115「おたすけを一条に」にて、教祖は次のように諭される。

「あんたは、これからおたすけを一条に勤めるのやで。世界の事は何も心にかけず、世界の事は何知らいでもよい。道は、辛抱と苦労やで。」

逸話篇115「おたすけを一条に」


道は「辛抱と苦労」である。

今は細道かもしれないが、ひながたの道を辿るのなら先は必ず結構!

先のおうかん道を楽しみに、ポツポツひながたの道を歩んでいきたい。

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