己の心に神はなし!
「なんて、恩知らずのやつや!」
「あんたに、神はないんか⁉︎」
と、思ったはなし。
通い先に88歳のおじいさんがいます。
9月ごろにお出会した方。
現役のころは、左官屋の親方をしていたそうで、今も元気100%です。
数ヶ月前に奥さんが亡くなり、市営住宅で一人暮らしをしています。
会長さんにおたすけの相談をしたところ
「男やもめに蛆が湧く」
(独り暮らしの男は家事がおろそかで不潔になりがち)
とのことで、掃除をするように言われました。
その日はトイレ掃除をさせていただきました。
その後、親方とお話をします。
会長にどんな方でもおつくし(お供え)を説くように言われています。
親方はこれまで一万円近くお供えをしてくださった方ですが、今回も世間話を交えながらおつくしを説きます。
しかしそのおじさん
毎度のごとく、次のように主張されます。
「神なんかあるものか」
「神なんか信じて何になるか」
「自分の力が一番やろ」
その方、左官屋で大儲けしたそうです。
それで、
「神なんか拝んで、飯が食えるか」
「自分の力以外に信じれるものがあるか」
「神を拝んで食っとるやつは虫唾が走るわ」
とのこと。
私が神様を信仰して歩いていることも軽く罵倒されます。
これまで3回通いましたが、毎回のこのようなやり取り、、、
この人の心には神がないのか?
神のおかげということが分からないのか?
と残念に思いました。
しかし、そこで反省させられます。
「あ〜これ、自分の姿やなぁ」と。
「神様のおかげ」がないのは、自分の方だったと。
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目の前にいる人の姿は、自分の姿
相手の心は、自分の心の写し鏡
自分でも気付いていない心遣いを、目の前の人を通して見てくださっています。
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私はどれだけ「神様のおかげ」を心に置いていたか?
自分が、にをいをかけている
自分の力でやっている
自分の思いを立てている
(しんどいとか疲れたとか)
そこに、「神のおかげが」なかったなぁと、
どれだけ、感謝して生きているかなぁと。
神様は
かしものかりもの分からねば何も分からん
と教えられます。
神様のおかげでこの世界は成り立っている。
神様の働きによって生かされている。
にをいがけおたすけに出られるのも、神様が働いてくださるおかげです。
にをいが掛かるのも、教祖が先回りをしてくださるおかげです。
苦労が少ないのも、親々の伏せ込みのおかげです。
たくさんの、「おかげ」によって生きているのに、そこに全然目を向けてなかったなぁと反省しました。
己の心に神は無し!
それは、自分のことでした💦
親方のおかげで、改めて感謝の心で通ることの大切さを痛感した、そんな話でした。