親の理
テーマ 〜親の理〜
今日のにをいがけの話。
親の声は凄いなぁ、たすけてくださるなぁと感じた話をします。
にをいがけに歩いていると、
天理教の悪口を言うおばあちゃんと出会いました。
天理教の布教活動をしている私に対して、
「そんなことしてなんになるの?」
「あなたはいいかもしれないけど、こっちは迷惑してるのよ」
「警察よばれてもいいわけ?」
などなど、
そんなに怖くはないおばあちゃん。
ですが、ズケズケと天理教のことを仰ってくださいました。
このおばあちゃん、
認知も少々入っています。
何回も同じことを質問されるし、正直参りました。
普段の私なら、
「この人永遠喋るタイプやな」と判断したら、10分、15分ほどで話を切り上げて次に行きます。
しかしそうも行きません。
と言いますのも
最近、理の親から
「人の話は最後まで聞くように」
「1時間でも2時間でも聞くように」
との仕込みをいただきました。
理の親の言葉は、神様の言葉と同じ。
普段なら早々に切り上げますが、今日は最後まで聴きました。
早く終われ〜
早く終われ〜
と心に念じておりますと、雨がポツポツと降り始めました。
それでようやく、
「あんた、雨降ってきたからもう帰りな」
と言われましたので、ようやく話が終わりました。
人の話を最後まで聞く。
これ、普通の人はいいのですが、一生喋るタイプの方にハマると、とてつもありません。
チョーベリーバットです。笑
ですが、夕づとめをしながら、ふと感じたことがありました。
それは、話を最後まで聴くことで
自分の「我」を取って下さっている。
それで、私自身がたすかっている
いうことです。
私のクセ性分として
ーーーーーーーーーーー
自分の思いを通したい
自分の思い通りにしたい
ーーーーーーーーーーー
というのがあります。
人の話を聞くことによって、そのクセ性分を取ってくださっているのかなぁと感じました。
人の話を最後まで聞くということは、
自分のタイミングで話を切れないし、
相手に合わせないといけません。
相手に合わせることによって、自分の思い通りにしたいという「我」が段々取れている気がします。
我が取れて、ますますたすかっているのやなぁと感じました。
さすが、親ですね。
親の言葉は神様の言葉。
親一条は、神一条と同じです。
親の声に素直に聞いて通れば、間違いありません。
親の声を頼りにこれからも歩んでいきたい、と感じた一日でした。