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布教師のつくし(金💰)について教えられたこと

つくしについて

つくしを説きなさい

会長さんはいつもそう言います。


私は「布教の家・岡山寮」にて、天理教の布教をさせてもらっています。🚶

入寮前、会長さんに

月に3万円お供えしてくれ

会長さん

とお願いをされました。

また、

つくし(お供え)と誠の、2点セットで回りなさい

会長さん

とも言われました。

ですので、にをいがけに歩く中で、常につくしのことが頭に中にあるのです。

沢山いただけるのなら良いのですが、世の中そう簡単にいきません。

旧統一教会のこともあるので尚更です、、、

つくしスランプ

お供えが全く上がらなかった

そういう時期もありました。

何とか、お供えさせてもらいたい一心ですが、なかなか思うようにいかないのです。


ある日、そのことを神様に相談しました。

全くお供えが上がりませんが、どうさせて貰ったらよろしいでしょうか?

内山から神様への相談

神様への相談が終わり、寮に戻ろうとしたところ、あらまぁびっくり😳

バッタリ寮の先生と出会いました。

これは、神様のお使いだなと感じ、そのことを相談しました。

その先生もおつくしには力を入れています。

いろいろお話を伺いましたが、大きく3つのことを教えてくださいました。

1、低い心
2、真実をつくす
3、喜んでいただく

この寮の先生の話がドカンとド直球で胸に刺さりましたので、その話をさせていただきます😌

1、低い心

まずはひとつ目。

それは、「低い心に人も金も集まる」とのこと。

よく聞く言葉ですし、読んで字の如し。

ここでは省略します。

2、真実をつくす

2つ目は真実をつくすこと。

この話はすごく人間心が出て、恥ずかしい😓

のですが、赤裸々に語ります。

先程も言ったように、会長さんに、月に3万円お供えをお願いされています。

いろいろな通い先がある中で、どうしても前回お供えを頂いたところを優先してしまうのです。

つくし(お供え)がなかった所は後回し、、、💧

本来では、お供えがないところの人の方が魂的に困っているはずです。

私は浅はかな人間心から、そういう通い先を後回しにしていました。

不思議なことに私はその話を寮の先生にしていません。

しかし、寮の先生は、私の普段の行いを見抜いているかのように、次のように教えてくださいました。

お供えが頂けないところにも、真実を尽くすこと。

寮の先生

また、

東で蒔いた種が、西から出る!

寮の先生

とも教えていただきました。

たとえ一方の通い先からお供えがなくても、違うところからポンと、ご守護いただける。

だからこそ、目の前の一人に真実を尽くす。

これが大事だよ、と。

このように教えてくださいました。

東で蒔いた種が、西から出る

いい言葉ですよね。📝


3、喜んでお供えを頂く


3つ目。

喜んでお供えを頂く。

先生曰く

お供えは、少々大げさに「喜んで」受け取りなさい

寮の先生

とのこと。

その理由として、次の逸話を取り上げて教えてくださいました。

『稿本天理教教祖伝逸話篇』140「おおきに」です。

 紺谷久平は、失明をお救け頂いて、そのお礼詣りに、初めておぢばへ帰らせて頂き、明治十七年二月十六日(陰暦正月二十日)朝、村田幸右衞門に連れられて、妻のたけと共に、初めて、教祖にお目通りさせて頂いた。その時、たけが、お供を紙ひねりにして、教祖に差し上げると、教祖は、
「播州のおたけさんかえ。」
と、仰せになり、そのお供を頂くようになされて、
「おおきに。」
と、礼を言うて下された。後年、たけが人に語ったのに、「その時、あんなに喜んで下されるのなら、もっと沢山包ませて頂いて置けばよかったのに、と思った。」という。

『稿本天理教教祖伝逸話篇』140「おおきに」


この逸話篇での重要なところは

「あんなに喜んで下されるのなら、もっと沢山包ませて頂いて置けばよかったのに‼️

と思ったところです。

おそらく、「おやさま」は、おたけさんの真実のお供えを、心から喜んで頂かれたのですね😌


それまでの私はと言うと、お供えをいただいても、、

ちょっと少ないなぁ

とか

もっと出してほしいなぁ

そんなことを思っていました。💧

これは、人間関係に置き換えてみると分かりやすいのですが、、、

例えば人から

あんたはここが足りないね。

もっとこうしてほしい。

そう言われ続けると、どうでしょうか?

あまりいい気はしないものです。

それより、

いつも良くしてくれてありがとう。

あなたがいてくれて助かるわ。

そう言われる方が、堕然やる気が出てきます。

どうやらお金も人間と同じように、

「感謝されたい」とか「喜ばれたい」という『意志』があるようです。

意思があるからこそ、

感謝して受け取ってくれる人

喜んで受け取ってくれる人

そういう人のところに行きたい!

とお金も思っています!😊


私は、出してくださるお金に、

足りないなぁ、少ないなぁと、不足をしていたのです。😓

それではお金も寄ってきません。

だからこそ、少しのお供えでも

あ〜‼️ありがとうございます‼️‼️‼️

と、少し大袈裟なくらい喜ぶことが大事なんですね。

会長さんも同じことを仰られ、

たとえ訪問先で、5円頂いても、

あ〜結構にありがとうございます‼️‼️

と、喜んで受け取りなさいと教えられます。

「十分満足ありがたい!」という心に、

神様はもっともっとご守護を下される

そのように教えられます。

不足不満の心では、神様のご守護が薄くなるとも聞かせていただきます。

寮の先生に、ありがたいことを教えて頂きました😭🙏

まとめ

つくしについて3つ教えていただきました。

1、低い心に人も金も集まる

2、目の前の一人に精一杯の真実をつくす

3、お供えは、大いに喜んでいただく

頂けることがそもそも奇跡なこのご時世。

神様のご恩返しのために、今日も勤めていきたいです♪

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