愛町分教会 初代会長 関根豊松 エピソード
1.布教伝道の様子
関根氏の布教伝道の様子として、
と話している。
すると、
といわれるように、
関根氏が触れただけで人がいくらでも助かったという。
ある時には、長い間、雨が降らず村人が日照りで困っていた。
そこで、関根氏が村の角に立ってお願いすると、
と話され、それは
という逸話も残されている。
『因縁に勝つ』54~55参照
2. 渡部与次郎先生の話から
天理教愛与布教所長(立教一七二年当時)渡部与次郎は、
関根氏のおたすけの様子について次のように話している。
毎日夜の十二時になると、神様の前で、
と伺ったそうです。
「今日はよくやった」とおっしゃるときと、
「今日はおたすけがちょいと足りなかった」とおっしゃるときとがあった。
神様は、はっきり声ではおっしゃりませんが、浮かんできたのだと思います。
「足りなかった」と思えたら、
病人宅にござを持って行き、庭に敷いて、陰願いをされたそうです。
あるときには、家の人が夜中にトイレに行こうとしたら、
何だか誰かがいるような気がして、庭先を見ると会長様で、
その陰願いのおかげでたすかった人もあったそうです。
とにかく、自分というものを捨て切って、神様の御用に専念された。
常に神様と向き合って、
「関根は、今日はこれでよろしかったでしょうか」
と通られたわけです。
渡部与次郎「定めた先に」『あらきとうりよう』二三四号 立教一七二年 五一頁引用
3.ようぼく7千名
関根氏が晩年の頃に執り行われた、教祖八十年祭では次のような記録が残っている。