神の思いに応える
こんにちは。
最近ぬるま湯に浸かりすぎて、早く出んといかんなぁと思いながらも、まだぬるま湯に浸かり続けている内山としひろです。🛀
今回は、もっと親の思いに答えないとなぁと感じた話です。
もの凄くいいお話です。
特に最後がいい話です。是非どうぞ😌
本日は、月に1回の「おたすけ懇談会」がありました。
寮のスタッフが2名来られ、おたすけのお話をしてくださいました。
心が愛で満たされたあと、戸別訪問に歩かせていただきました。
20軒ほど訪問したのち、通い先へ向かいます。
一度おぢばへ行く約束をした60代のおじさん。
おぢばへのお誘いとおさづけのため、お宅に伺います。
「ピンポーン」と、インターフォンを押すと、通話が繋がりました。
いつも通り、
「天理教の内山でーす。」
と、少し訛った声で挨拶します。
すると通い先のおじさん、
「あぁ、ごめん。今日はしんどいから無理や、」
ガビーん。
あっけなく断られます。
「おさづけだけでも〜」
と、なんとか粘ります。
ですが、期待は虚しく
「しんどいから無理や」
と、本当にしんどそうな声で断られます。
このやり取りを3回ほどして、ようやく諦めました。
「まじかぁ、せっかく来たのに」
と、は思いませんが(2割は思ってます笑)
戸別訪問は断られるのが当たり前の世界。
また、違う通い先に行きます。
こちらは、息子が天理大学卒業のお父さん。
初席はまだで、もしかするともしかするとの方です。
「ピンポーン⤵️ 天理教の内山でーす。」
インターフォンを鳴らします。
すると、そのお父さん。
「ガチャ」とドアから出てこられたら、あら驚き。
なんと、パンツいっちょ、ほかハダカで外に出てこられました。
しかも、パンツの色は白です。笑
パンイチおじさん。私の顔を見るなり、
「あぁ、今ちょっと休んどるから無理や。ごめんなぁ」
と、言い終わるか言い終わらないかの内にドアを「スーッ」と閉められます。
まじかぁ。⤵️⤵️
とは思わないようにしていますが、さすがにショック。
にをいがけというものは、ほとんど思うようにいかないもの。
分かってはいますが、天理に行く約束をしていただけに、どうしてやろぉなぁ、と思案を重ねました。
思案する中、「心通りのご守護」の教えが頭に浮かびました。
この世界は、自分の心通りの世界。
自分の心一つに、かりている世界です。
言い換えると、
相手の姿は自分の姿。
私の心通りの相手。
自分の姿が相手にうつっています。
こちらとしては、なんとかたすかってほしいとの思いで、にをいがけ(戸別訪問)、おたすけに回ります。
しかし、体調が悪い、今は休んでいるから、との理由で断られる。
これを、自分と神様に置き換えて考えてみます。
私も神の思い、親の思いをどれだけ受けきれているだろうか?と。
神様はもっともっと、私自身をたすけたい。
成長させたい、と思っています。
ですが、私も通い先の方と同じように
「今はちょっとしんどくて、」
「神様、また今度にしてください」
と、親の思いを拒んでないか。
いや、結構自分に負けてるし、拒んでるなぁ、と小反省です。
高野友治先生のある論文の中に次のような話が出ていました。
(うろ覚えです。すみません。)
神が人間をたすけたいという思いは、雷のようなもの⚡️
100万ボルトくらい?
それくらい強いもの。
そのたすけたいとの雷を、そのまま人間に落とすと、死んでしまう。
だから、人間一人ひとり、ちょうど良い電流を流してくださる。
たすけたいとの電流。
私は、その小さな電流でさえ、
「ちょっと無理です」
「しんどいです」
「また後にしてください」
と言っていないか?
(バリバリ言ってます。すみません💦)
神のたすけたい思いは100万ボルト⚡️
計り知れない神の思い(電流)に少しでも応えていくことが、成人に繋がるのですね。
自分の姿が相手にうつる世界。
通い先の方の姿を通して、私の心の有り様を見せてくださいました。
もっともっと神の思いを受け入れる。
おつとめ、おさづけ、にをいがけ、おたすけ、ひのきしん、お尽くし。
もっともっと動いて、本気でやらねば!
最近ぬるま湯からなかなか抜け出せない内山ですので、もっとギアを上げ、なんとか親の思いに答えたいと、そう感じた一日でした。