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今日もお疲れさま。
キャリアカウンセラーのおかちんです。
そろそろ梅雨の終わりが見えてきたのか、徐々に暑さが増してきました。
特に今日は雨上がりのためか、”むしむし”とした暑さに予想以上の疲れを感じています。こんな日はお風呂に浸かって身体を労わってあげたいですね。
感覚は人それぞれ
この暑いという”感覚”は、みんな違います。
同じようにエアコンが『26℃』を示しているとき、強いと感じるか弱いと感じるかは人によって異なります。
食べ物の好き嫌いも、この感覚によるところが大きいかもしれません。
「食感が苦手で~」「見た目の感じが~」と苦手な食べ物がある人は、こんな言葉を使っていませんか?
「これおいしい!」「うーんいまいちだな…」と同じ料理を食べても感想が180度違っていることもあります。
やっぱり感覚って人それぞれで、言葉で表現しきれないものなんだなと思いますね。
”人と同じ”ということに安心する文化
日本は『和を以て貴しとなす』という言葉があります。
『和』には、
・やわらぐ、なごむ、おだやか
・仲良くする、むつまじくする
・混ざり合う、調和する
などの意味があります。
つまり私たちはずっと前から、『周りと合わせることを良しとする文化』が根付いているんですね。
「何かを決めるためには”多数決”」
「レビューの☆は多いとよい」
「みんながいいなら私もいい」
「出る杭は打たれる」
これってベースには、人と同じことを良しとする感覚が潜んでいますよね。
おかげで波風を立てず、水面下で地ならしをして、事をうまく進めるという日本文化が生まれたわけです。
でも、少数意見はなかったことにされてしまったり、自分の感覚を信じて判断することがわがままとして扱われてしまったりと、不満の種が残るのもの事実ですよね。
先ほどの料理でいえば、10人中9人が「おいしい」と言えば、自分も合わせておこうという気持ちが働きませんか?でも本当はどうなんでしょう?
”わたし”を信じる
でも、昨年来コロナ禍で世の中の価値観は大きく揺らぎました。
会社に大勢が集まって、”みんなで働く”ことがままならなくなり、リモートワークで”個々で働く”ことが広まりました。
もちろんすべての業種・職種が変わったわけではありません。
しかし、少なからず身の回りに当たり前に存在していた”みんなと同じ”という感覚に変化はあったはずです。
周りを見て様子を合わせようにも、その周りに人はいません。
リモートで顔を合わせても、見えるのはせいぜい上半身くらい。
肌のぬくもり、かすかに聞こえる呼吸音、香水のにおい……五感を刺激するものがないんです。
そのせいか、周囲に合わせることが難しくなった気がします。
「……わたしだけ?」
そうやって、浮いてしまうことが怖くて、周りに合わせ過ぎていませんか?
でもいまは一人ひとりが自分の感覚を信じて判断することが求められています。
「わたしを信じる」
そんあ、ある種の覚悟が必要なのではないでしょうか?
「外出するかしないか」
「外食をするかしないか」
「ワクチンを打つか打たないか」
どんな結論を出すにも、わたしを信じて決断することが大切だと思います。
当然ながらその前提には、
「他者に危険を与えないこと」
「他者の自由を奪わないこと」
「他者に迷惑をかけないこと」
といった他者尊重の精神は欠かせません。
そのうえで、自分を尊重してもよいのではないでしょうか。
「わたしはこう思う」
そんな風に、自分の思いを素直に言えるようになったら幸せですね。
自分も相手も大切に@おかちん