見出し画像

わたし自身が期待を上回りたいと強く願うタイプなので、余計に感じやすいのか・・・やっぱり難しいんですよね、期待に応えるって。

そもそも「✕✕までに○○をしてほしい」と、明確な目標が与えられている場合は比較的取り組みやすいんです。求められる結果も明確で、そのための必要な手順や条件も見えるためゴールまでがイメージしやすいわけです。
だからこそ手を抜かなければ、しっかりと期待に応えられるはず。

ところが、まったく未知のチャレンジや、自分でこれまでにない方法を考えて取り組むような課題だと、途端に難しくなります。

まずは目標までの道のりが想像できないこと。何をどうしたらゴールに近づけるのかすら分からず、試行錯誤の結果ようやく一筋の光が見えるといった状況だと、なかなかすぐさま期待に応えることはできません。

次に結果期待であってプロセスへの期待ではないこと。結果を出す=期待に応えるということであり、結果を出すまでの努力は評価の対象になりません。どのように工夫したか、一つの成功パターンに至るまでにどれだけ数多くの失敗を重ねたかなどは、期待に応えるうえでは無関係となります。
期待に応えるのは容易ではありません。

そして前例がないこと。期待に応えるためのモデルケースがないわけですから、見よう見まねでやってみることすら叶いません。それを考え出すこと自体が課題なのですから当然と言えば当然ですが、すでにあるものを組み合わせてつくり上げるという手立てが使えないとなると、期待に応えることのハードルはぐっと上がります。


ところが、逆にわたしが誰かに期待する場面を考えると、その意識は一変します。

まずは結果期待ではなくプロセスへの期待が大きくなります。何をどのように努力してくれたのかだけでも、十分に期待に応えたと感じます。
前例がなくても、似たようなケースを例に考えてみることを勧めますし、できる部分か可能な限り既存の技術を流用して考えてもらいたいと思います。
さらに道のりが分からなくても、どんな道を選択し、どう進もうか考えていて、その道を歩み始めただけでも期待以上だと評価します。

つまり逆の立場なら、自分に対して感じることとは正反対の指標で評価するわけです。なのに、自分が期待される立場になった途端にその考え方ができなくなってしまうわけです。

典型的な「自分に厳しく、他人に優しい」タイプですね(笑)
だからいつも期待に応えられなくて情けないと、自分を責めてしまうわけです。


最近はこの考え方を止めようと思って、自分にも優しくするように心がけています。甘やかすのではなく、評価の軸を他者と共通にするだけです。

「今日はここまでできたじゃない!」
「頼まれた以上の結果を出せたんじゃない?」
「こんな風に工夫できたよね?」
「手を抜かずにがんばっていたよね!」
と、自分で自分に声をかけてあげています。

「期待に応えようと努力している時点で、すでに期待に応えてくれている」というのが、いまのわたしの答えです。

あとは結果がついてきてくれればベスト。
仮に思うような結果が出なくても、結果を出そうとして取り組んだ努力は無駄にはしません。いつか花咲く日が来るまで、努力の種を育んであげればいいんです。そうやって諦めないことも、期待に応えてくれていると思うようにしています。

そんな風に過ごしていたら、ずいぶんと気楽に自然体で振舞えるようになりました。

先日も大舞台でファシリを行う場面があったのですが、変に期待に応えようと気合を入れず、いつも通りの自然体でみんなと一緒に楽しもうと思って取り組みました。その結果は上々。期待に応えることができたと自分では思っています。

仮にうまくいかなくてもそれはそれ。手を挙げて取り組もうとした時点で、期待に応えるための行動は起こしていたわけですから。


期待に応えるって難しい・・・と感じた時点で、自責傾向に陥っているサインが出ているなぁと思うようにしています。こういう自分の気持ちのコントロールも大切なことですよね。



#明日も佳き日でありますように
#期待に応える
#自責
#自分に厳しく他人に優しい
#自分にも優しくする


#毎日note
#おかちんnote
#キャリアカウンセラー
#キャリアコンサルタント
#キャリアカウンセリング
#キャリアコンサルティング
#キャリア
#キャリコン
#CDA
#コミュニケーション
#コミュニケーションファシリテーター
#コミュファシ
#アートマインドコーチング
#AMC
#対話型アート鑑賞
#JEARA

いいなと思ったら応援しよう!