『ムダなものなどない』の意味
お疲れさま。
キャリアカウンセラーのおかちんです。
最近、いましていることやこれまで取り組んできたことと改めて向き合っています。
「どんなことをして、何を残してきたのだろう」
「何のために、どんなことを想って取り組んできたのだろう」
「もっとできたことはなかっただろうか」
そんな思いが頭の中をグルグルと回っています。
そしてふと、こんな言葉が浮かんできます。
『これまでやってきたことはムダだったのではないか……』
これが巡り始めると、どんどん落ち込みますよね。
”自己否定”、”自己無力感”という、ブラックホールのようにエネルギーを奪う思考です。
そこで、無駄とは何なのかを改めて調べてみました。
【無駄(むだ)】
1 役に立たないこと。それをしただけのかいがないこと。また、そのさま。無益。「―な金を使う」「時間を―にする」
2 「むだぐち」に同じ。
「しゃれも―もいっかう言はず」〈滑・膝栗毛・初〉
[補説]「無駄」は当て字。
出展:小学館 デジタル大辞泉
なるほど。「役に立たない」というのは自己否定そのものですね。
私が注目したのは『それをしただけのかいがないこと』という一文。
やりがい、働きがい、生きがい……など”かい”を感じられないときに、『ムダ』と感じるんですね。
ついでに甲斐も調べてみました。
【甲斐(かい・がい)】
1 行動の結果として現れるしるし。努力した効果。「我慢した―があった」
2 期待できるだけの値うち。
出展:小学館 デジタル大辞泉
つまり、『ムダだった』と思うのは、
・努力が報われない
・結果が現れない
・期待した成果が見えない
そんな風に感じたときなんですね。
ん?
これって……
『自身の経験をどう見ているか・とらえているか』
という問題では?
ということは、視点、観点、解釈を少し変えれば、そのムダと感じる気持ちも変化すると思うんですよね。
で、どうして報われないと感じるのか?
それは努力が報われるイメージに原因があると思います。
【努力曲線】理想と実際の差
※今回は直線で描きましたが、実際には緩やかな曲線を描きます
私はこれを『努力曲線』と呼んでいます。
左図のように「がんばったらがんばっただけ報われる」と思っていると、なかなか成果が現れず、「やってもムダかも……」と感じます。
しかし現実は右図のように、努力して努力して努力したその先の”ある日”に”突然”成果が現れます。その間、一定レベルに達するまでは報われなかったりします。
先ほどの『視点・観点・解釈を少しだけ変える』というのは、『努力のイメージを右図に置き換える』ということです。
また上司や先輩は、経験の浅い若手ほど『左図のイメージを抱いている』と考え、『こまめに努力を認め、現在地を示し導いてあげる』ことで、モチベーション低下を防ぐことができます。
『ムダなものなどない』
大人がよく口にする言葉だと、昔は思っていました(笑)
学生時代までは(もしかすると働き始めてからも)、「どうせやってもムダなことだってあるだろう」と思っていました。
ですが、この努力曲線を知ってからは「ムダなものなどない」という意味が徐々に理解できてきました。
いま私が感じているのは、次のような意味です。
・努力は簡単には報われない
・努力が報われるまであきらめない
・成果が出なくても、費やした時間や努力は自分の力にできる
・他者の評価だけが成果ではない
・自分で自分を認められることが何よりの成果
なんだか自己肯定感・自己効力感を高めるキーワード満載ですね(笑)
石垣は、『すべての石が積み重なって初めて石垣となる』そうです。
つまり『1つもムダな石はない』んですね。
現代のように機械で切り出すことができない時代、そこにあるものを組み合わせすべてを活かして作り上げていたことにただただ驚くばかりです。だからこそ、人生の教訓を感じるのかもしれません。
いまの努力はきっといつか報われます。
だから成果が現れるまでもうちょっとがんばってみませんか?
自分も相手も大切に@おかちん