新・ラグジュアリー 文化が生み出す経済 10の講義/ 安西洋之 (著), 中野香織 (著)
タイトル : #新・ラグジュアリー
筆者: #安西洋之 , #中野香織
出版社 : #クロスメディア・パブリッシング
発売日 : 2022/3/28
ページ数 : 296ページ
その本を選んだ理由
山口周さんのラジオ番組『NTT Group BIBLIOTHECA ~THE WEEKEND LIBRARY~』で取り上げられていた「新・ラグジュアリー」について書かれた本。
「ブルネロ・クチネリ」のような新興ファッション・ブランドでありながら老舗ファッション・ブランドより高価な値段で販売し、人気を得ている。しかも、分かりやすいブランドロゴなどは一切、装飾されていない。これにみよがしにブランドアピールをするのは粋じゃない。ただ、知っている人だけが「ブルネロ・クチネリ」だと気づくという。この「ブルネロ・クチネリ」は自然を大事にし、職人を大事にしているため、大量生産ができないため、価格もあがる。そして、「ブルネロ・クチネリ」が掲げる自然を大事にする、職人を大事にする、文化を維持するという考えに賛同した人のみが購入する。ファッションが思想のアピールになっているのである。
こういう思想は、実は日本寄りかと思うが、実は日本は真逆である。ファストファッションで安い労働力で人をこき使い、大量消費・大量廃棄で自然に優しくなく、有名人を使用してブランディング。まるで安い居酒屋のチェーン店みたいなファッションである。日本にこそ「ラグジュアリー」という思想が欠落している。そう思ったので読むことにした。
最も印象に残ったシーン・一押しポイント
日本人にとって「ラグジュアリー」とは遺産であり、伝統。そしてそれこそが文化だと思っている。なので新しいブランドや会社は文化とは認めない傾向にある。無駄に過去の伝統や文化を崇拝し、結果、新しいものを受け入れない文化らしい。先述の「ブルネロ・クチネリ」が日本では流行せずに相変わらず「シャネル」「プラダ」「ヴィトン」を愛するのは、過去の信頼というものだけだ。この傾向はアジアという括りではなく日本に顕著に表れている。
日常生活においても過剰な伝統文化崇拝を目にすることが多いので非常に納得のいくものだった。日本は伝統とは?文化とは?持続可能社会とは?などの本質を見極めていく文化が必要だと思った。
今後の自分の行動や考え方の変化
ラグジュアリーにはお金がかかる。その思想や考えを体現させるのは資本が必要なのである。わかるけれどもわからない。自分の考えや思想なんかはファッションではなく声や態度で示せばいいだけ。差別化の手段のひとつでしかなく、それ以上のものではない。ただ、国や文化によって「なにがラグジュアリーなのか」が違う。
ラグジュアリーは価値を上げるための方法ではない。ただ、ラグジュアリーという考えは今後のグローバル化、もっといえばAI化、宇宙開発を進めていく人類において大事な考えである。高級な、という括りではなく、「忘れてはいけない、変えるべき場所」として捉えておきたい。